沖縄県うるま市与那城屋慶名区の安里卓(たかし)さん(46)は産業事故の後遺症で右半身にまひが残るももの、自身の努力と周囲の励まし、父栄景さん(80)の助けを借りながら、大好きな闘牛の飼育に情熱を傾けている。今もリハビリに励む卓さんは「いつか闘牛士になりたい」。愛牛とともに闘牛場のリングに立つ日を夢見ている。

卓さん(中央)と父の栄景さん(左)、友人としてエールを送る古謝原光さん=6日、うるま市与那城屋慶名

愛牛「与勝大砲」の世話をする安里卓さん(右)と、父の栄景さん=2017年12月、うるま市与那城屋慶名

卓さん(中央)と父の栄景さん(左)、友人としてエールを送る古謝原光さん=6日、うるま市与那城屋慶名 愛牛「与勝大砲」の世話をする安里卓さん(右)と、父の栄景さん=2017年12月、うるま市与那城屋慶名

 卓さんが事故に遭ったのは23歳のころ。19歳で上京し、建設会社に勤めていた。工事現場で資材を運ぶ際、資材を結束する番線に足を引っかけて転倒し、腰を強打。寝たきりの状態が続き、栄景さんが迎えに行ったという。

 屋慶名区は戦前から闘牛が盛んな地域。その中でも安里家は卓さんの曽祖父の牛さん、祖父可信さんを含め4代続く名高い闘牛一家だ。

 特に栄景さんは物心ついた頃から闘牛の飼育に携わり、「牛と会話ができる男」との異名を持つ。冷蔵庫、テレビなどがそろう牛小屋には牛さんの時代から現在まで、愛牛の写真が所狭しと飾られ、数々の資料が保管されている。

 祖父や父の姿を見て育った卓さんも、自然に牛が好きになった。沖縄に戻り、病床にありながらも頭は牛のことでいっぱい。闘牛に関わりたいとの思いでリハビリに励み、寝たきりの状態から車いす、つえで立てるようになった。

 今では車を運転するまでに回復しているが、右半身にまひが残り、週2回は沖縄市内のリハビリ施設に通う。施設の職員や利用者も卓さんの頑張りに「私たちにとっても大きな励み。夢をかなえてほしい」と応援しているという。

 卓さんの朝は早い。午前4時ごろ起床、6時ごろには栄景さんと自宅から約500メートル離れた牛小屋に向かう。牛小屋では安里さん親子の所有で900キロを超す愛牛「与勝大砲」、受託飼育の「古堅モータース」が出迎える。

 「おはよう。今日もよろしく」と声を掛けると、牛も目で合図するといい「人間と変わりません」と卓さん。牛のことは多少知っているつもりだったが、角で突かれたり、蹴られたりと頭で描いていた飼育とは違い、悪戦苦闘の連続だったという。

 餌やりと小屋の掃除、ブラッシング、水浴び、散歩は主に卓さんの役目。屋慶名区出身で安里さん親子の友人、古謝原光さん(69)=沖縄市=は「牛の世話は手間暇かかる。障がいがありながら、とても頑張り屋」とエールを送る。

 普段は寡黙な卓さんだが、牛の話になると情熱が言葉になってあふれ出る。「かなわぬ夢かもしれないが、いつかは闘牛士になり、ヤグイ(かけ声)をしたい」と目を輝かせた。(翁長良勝通信員)