自国の利益拡大を求め、国境を越えて突き進む。そこには地方自治の尊重や平和の理念はない。名護市長選を巡り、アメリカの民主主義の醜い側面を痛感したのは私一人ではない。

 稲嶺進氏が敗北した数日後、カリフォルニア州に50年近く住む名護出身の女性から電話をもらった。

 「私の庭には基地はない。しかし、古里の家族や親戚は20年以上も基地問題で引き裂かれ続けている。米国民の豊かな生活を支えるために、沖縄が犠牲となり続けるのを止められない」。電話口の向こうで、さめざめと泣いた。

 米軍基地を巡り、一つの地方自治体がここまで分断されたというのに、米国内の反応は皆無に等しい。

 オバマ政権時に沖縄の基地問題を担当した元米高官は、「予想が当たった」とまるでゲームを楽しんだかのような明るさで、「沖縄の人権や土地を奪っているとの批判は間違いだ。米国の政策は正しく、日本の利益にもなり、沖縄の振興にもつながる」と言い放った。

 米国の冷ややかな反応とは対照的に、日本では、国民が総じて評論家にでもなったかのように、選挙結果を分析する声であふれた。

 それはまるで、ずしりと重い荷物を背負う沖縄に向かって、「軽くならないのは、やり方がまずいからだ」と言っているようで、前述した元米高官の声に重なった。本土紙など私が目を通した範囲では、「自分の荷物は自分で持つよ」の声は皆無だった。

 名護市や沖縄が「基地か経済か」との問いを突き付けられてきた一方で、20年以上たっても、沖縄に対する日本人の責任を問う議論は深まらない。

 安倍晋三首相は「移設先となる本土の理解が得られない」から沖縄の米軍基地負担が軽減できないと言ったが、そうした考えの首相は安倍氏だけではない。歴代の首相のほとんどがそうだ。そしてその発言をいつも支えてきたのは、基地のない庭で暮らす日本国民の沈黙だ。

 名護市長選を巡り、真に問われるべきは、「新基地建設を可能にしているのは誰なのか」ということであろう。

 日本人の責任とは、日米両政府と両国民による、沖縄への干渉と介入、依存を止め、そして安倍政権に新基地建設計画を断念させることだ。

 空から米軍ヘリの部品が落ちてくるのではないかとの不安を抱え、子どもを保育園や学校に送らざるを得ない親の心境を想像してほしい。沖縄は、外国の軍隊のために、子どもたちの教育現場が犠牲となる事態になってしまった。

 「政府は新基地建設計画を断念せよ」との声が日本中にこだまするのはいつの日か。沖縄はこれ以上、待てない。(平安名純代・米国特約記者)