[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発](68)福田恵子

月に1度開催されている北米沖縄県人会のカラオケクラブを楽しむ宮里ジョージさん

 中城村出身の宮里ジョージさん(69)が家族と南米アルゼンチンに渡ったのは1963年、13歳の時だった。両親と共にカーネーション栽培に従事していたが、74年には「先進国で労働賃金の良い場所」だったアメリカのロサンゼルスにやってきた。

 「給料ですぐに中古車が買えた。南米ではお金持ちでないと車は買えなかった」

 ジョージさんがロサンゼルスで就いた仕事はガーデナー(庭師)だった。「日系人のガーデナーといえば、とても評判が良かった。私は先輩たちの評判の恩恵を受けて、今まで仕事を続けることができた」と謙遜する。69歳の今も現役で働いている。

 趣味は走ること。ロサンゼルスマラソンには二十数回、ロングビーチマラソンに4回、ボストンマラソンにも出場した。きっかけは禁煙。「それまで17年間続けていたたばこをやめるために走り始めた。すると簡単にたばこがやめられた」

 2008年に帰省した沖縄でもふれあいマラソンに出場した。「読谷から名護までたすきをつないで走った。その時にみそであえた刺し身も食べた。子どもの時に故郷を出て沖縄のことが分からないから、そういう経験が新鮮だった」と懐かしむ。

 当時10歳だった息子のマチューさんも連れて行った。「息子は日本のアニメや漫画が大好きで、私との会話からよりもアニメから日本語を覚えた」。50歳の時に生まれた息子のことを話す時のジョージさんは優しい顔になる。

 「ほかの日系人の多くは子どものしつけに厳しいが、私は甘い父親だ。それがかえって良かったと思っている。息子は伸び伸びと育ち、19歳の今は学校を休学してベイカリーのマネジャーとして働いている。リーダーシップがある子に育ったことが誇りだ」

 沖縄を出てアルゼンチン経由でアメリカにやってきたジョージさんは、実は長らく不法滞在だったそうだ。しかし、レーガン政権下で恩赦が発効された際に永住権を取得した。「不法移民に永住権を与えてしっかり税金を取ろうという政策は正しかったと思う」と、まるで人ごとのように豪快に笑った。きっとたくさんの苦労をしてきたに違いないが、旺盛なエネルギーで乗り越えてきたのだろう。その有り余るエネルギーは今、走ることに注がれているようだ。