「これは面白い」。道に詳しい専門家が興奮気味に話す様子にこちらもわくわくした。宜野湾市の米軍キャンプ瑞慶覧の返還跡地(西普天間住宅地区)から、県道の前身にあたる「郡道」が見つかったこと(12日付)

▼普天満宮から伊佐方面に続く道路として使われていたという。保存状態が良く、一部とはいえ完全に残っているのはかなり珍しいというから興味を駆り立てる

▼元々は琉球王朝時代、首里城から浦添城までをつなぐ道路として整備された「宿道」。その後、尚賢王が普天満宮への参拝のために整備し、近代に入って広域圏にあたる「郡組合」によって「郡道」となった

▼整備主体によって道の名称も変遷。専門家は道路の歴史をみる上でも貴重な財産だという。サトウキビを製糖工場へ運ぶ道としても使われたとみられ、浮かび上がった「郡道」の姿は当時の生活の息づかいが聞こえてくるようだ

▼同返還跡地では貝塚や竪穴住居など多くの遺跡も見つかっている。沖縄国際大学非常勤講師の恩河尚さんは「郡道の詳細や状態を明らかにする遺構が残っているのは極めてまれ」と評価する

▼文化財の保存は、点ではなく面でとらえ、周辺や地域とどう調和させ活用していくかが全国的な流れという。歴史を学ぶしるべとして、未来につなぐ跡地利用に生かさない手はない。(赤嶺由紀子)