沖縄戦を生き抜いた旧県立第三高等女学校(名護市、三高女)21期生の卒業70周年と米寿を記念した祝賀会が20日、那覇市内のホテルであった。1926(大正15)年から29(昭和4)年生まれの同期生13人が、戦争に翻弄(ほんろう)された女学校時代を振り返りながら、元気で迎えた米寿を喜び合った。

安元文子さん(後列右から2人目)作の陶器や上原米子さん(同5人目)の絵を贈られ、笑顔を見せる三高女21期生たち=那覇市牧志・ホテル山の内

 21期生は、太平洋戦争の開戦を控えた41年に三高女へ入学。4年生だった44年の10・10空襲では、三高女の寄宿舎を使った負傷兵の収容施設で治療を手伝い、翌45年3月末から始まる地上戦のため卒業式もできなかった。

 那覇市の大嶺弘子さん(86)も、10・10空襲で看護に駆り出され「寄宿舎そばの広場に木の枝を集め、何十人も火葬した」と思い返す。メンバー最年長の上原米子さん(88)=恩納村=はなごらん学徒隊として地上戦にも動員され、大けが。壮絶な体験を13年間、計141回の講演で語ってきたといい「私が伝えないと亡くなった人に申し訳ないという思い。再来年の講演まで依頼されて驚いたが、これからも元気な限り引き受けたい」と意欲を見せた。

 同期をまとめる玉城綏(やす)子さん(88)=那覇市=は「病気などで人数はだんだん減っているが、みんなの顔を見ると女学生に戻った気分。カジマヤー(数え97歳の祝い)もやりますよ」と笑顔で語った。

 会には、来春刊行予定の名護市史戦争記録編で、三高女の執筆を担当する川満昭広さん(57)も参加。なごらん学徒隊が動員された沖縄陸軍病院名護分院跡(本部町)を後世に残す手法として県文化財指定を挙げ「当事者の皆さんも声を上げてほしい」と呼び掛けた。