琉球王府の時代、島の安寧を願い王家の儀式でおもろ(神歌)をささげたという大山人(うやまんくぅ)。周囲との交流も盛んだったが、古謡を謡い続けるため、人々は古来の言葉を守ろうとしたという。宜野湾市大山には、おもろの音が静かに残る。(中部報道部・下地由実子)

王府おもろを練習する安仁屋眞昭さん(中央)=宜野湾市大山

「大山は言葉が短いからか、楽しく話していてもケンカに間違えられることもある」と笑う(右から)石川博司さん、又吉亮さん=宜野湾市、大山公民館

王府おもろを練習する安仁屋眞昭さん(中央)=宜野湾市大山
「大山は言葉が短いからか、楽しく話していてもケンカに間違えられることもある」と笑う(右から)石川博司さん、又吉亮さん=宜野湾市、大山公民館

 大山の言葉の独特さを象徴する笑い話がある。

 戦前、軽便鉄道の駅の近くで汽車を待つ人たちがいた。大山の人が声を掛けた。「クーン」。大山では「来る」の意味だが、多くの地域では「クーン」は「来ない」を意味する。「来る」は「チューン」だ。結局、「汽車が来るよ」との呼び掛けを、「まだ来ない」と受け取り、人々は汽車に乗り遅れたという。

 大山出身の石川博司さん(77)は「高校に行って、よく冷やかされた。すぐ隣の真志喜とだって、全然違うくらいだから」と笑う。「他の地域の『たちつてと』を、大山では『かきくけこ』で発音する」と説明する。例えば、米寿のトーカチは「トーカキ」、今日(チュウ)は「キュウ」だ。

 自治会長の又吉亮さん(34)は「聞けるのは、よく使うフレーズや単語。きれいな大山言葉のお年寄りに、分からなくて聞き返したこともある」と苦笑いする。

 若い世代が聞き取れない大山言葉。沖縄の多くの地域で見られる「キ」が「チ」、「ギャ」が「ジャ」と変化する「口蓋化」が、大山では見られない。なぜか。

 安仁屋眞昭さん(78)は、おもろとの関係を指摘する。「祈り謡のおもろを続けるため、口蓋化しないよう注意したのではないか。だから、大山に残っているのは昔からの言葉だ」

 大山の女性たちは「商い(アキネェ)」で、現在の沖縄市あたりで山桃などを仕入れ那覇へ売りに行った。「よそのシマとよく交流するが、言葉は影響されなかった。ずいぶん意識していたのではないか」という。

 安仁屋家は大山に代々住み、17世紀から琉球王府の古謡おもろを管理する役職「おもろ主取」だった。

 あまみきよが 御差ししよ 

この大島 降れたれ

十百末

おぎやか思いす ちょわれ

(あまみきよのご命令で この島に降臨された尚真王様よ 千年までもご治世あれ)

 五穀豊穣(ほうじょう)や航海安全、冊封使の歓迎といった儀式で、首里城に上がりおもろを謡う。日ごろは、旧家の代表を集めて稽古した。「おもろさうしの本の表記に近い音で語源がたどりやすい。有力者の言葉が一般にも影響したはずだ」と推測する。

 琉球王朝が終わり、おもろ主取も安仁屋さんの曽祖父真苅(1837~1916)の代で途絶えた。真苅に聞き取りをした音楽家山内盛彬から伝授され、安仁屋さんはおもろを謡えるようになった。仲間と共に発表会や普及活動を続ける。「『習ったものは君に返したから皆さんに紹介しなさい』と遺言を預かった。古い音を残して謡い継いでいきたい」