サイパンでの戦争を生き延びた西原町在住の金城敏子さん(80)が、現地で生き別れになり、行方が分からない妹の行方を捜している。生死も不明だが、県内で似た人物に間違えられた経験が何度かあり「もしかしたら妹では」と思い返した。「現在の名前も分からないが、生きていてほしい」と強調。戦後70年の節目に、行方知れずのきょうだいへの思いを強くしている。(与儀武秀)

「生きていればサイパンで行方知れずになった妹に会いたい」と話す金城敏子さん=那覇市内

 1943年のサイパン戦時に小学3年生だった金城さんは、両親ときょうだい5人の家族できょうだい最年長。現地で生活していたが、戦闘で両親と弟の3人を失った。

 当時7歳の弟が末の妹の悦子さん(43年6月4日生まれ)を背負い米軍の捕虜となったが、収容所内で離され、妹のみ幼児専用の戦争孤児の病院に入れられたとみられる。その後の妹の安否は不明という。

 金城さんは、戦後サイパンから沖縄に引き揚げた養父母に育てられ、保育園園長に。ずっと末の妹は亡くなったと考えていた。

 だが20年余り前、那覇市内の商店街で「名護中学で国語を教えていた先生ですよね」と女性2人に話し掛けられた。

 昨年も「神原中学で教えていましたよね」と教え子らしい女性に声を掛けられたため「もしかしたら妹が生きて帰り、沖縄で暮らしているのでは」と思い始めた。

 金城さんは、他人のそら似かもとしながら「学校でアルバムを見せてもらうなどしたが手がかりがつかめなかった。もし生きているなら、会って戦後どんな生活をしていたか知りたい」と話している。

 問い合わせは沖縄タイムス学芸部(与儀)、電話098(860)3553。