店先に並ぶ瑠璃色の花瓶やウコール(香炉)をかすめるように、バスがひっきりなしに走り抜ける。那覇市の開南交差点から与儀交差点の間、通称「仏壇通り」には現在、6店の漆器店や家具屋が軒を連ねる。全盛期には30店以上あったというが、道路拡張に伴う立ち退きや売り上げ不振で撤退していった。だが「道が整備されたら、また戻ってくる」という店もある。車の往来に負けないにぎわいを取り戻せるか。通りは転換期を迎えている。(東江菜穂)

現在、仏壇通りには6店の漆器店や家具屋がある。うち4店が照屋漆器店

店に立って約60年。照屋漆器店の照屋ハツ子代表。「休みは盆と正月の年6日だけ」=26日、那覇市樋川・同店

現在、仏壇通りには6店の漆器店や家具屋がある。うち4店が照屋漆器店 店に立って約60年。照屋漆器店の照屋ハツ子代表。「休みは盆と正月の年6日だけ」=26日、那覇市樋川・同店

 照屋漆器店は、通りで今でも営業する最も古い店。1948年ごろ楚辺から開南に移ってきた。約60年、店に立ち続ける“仏壇通りのお母さん”こと照屋ハツ子代表(84)は「戦後は、あちこち米軍に土地を取られていた。空いてたのが開南だった」と話す。いつしか漆器店や家具屋が集まり「タクシー運転手が仏壇通りと呼び始めた」。

 全盛期は50~60年代。戦火で仏壇や位牌(いはい)を無くした県民がこぞった。盆正月前には「商品を棚に陳列する間もない。お客さんは私の手から商品を取って『うれ、まきれー(これ、まけて)』だったよ」と懐かしむ。つっかけが脱げようものなら、押し寄せる客に蹴られてどこにいったか分からなくなるほどごった返した。

 にぎわいは復帰後、陰りはじめる。本土から商品が入り、売り上げ不振や後継者の不在で次々に撤退。2008年ごろからは道路拡張による立ち退きも始まった。

 虫食い状態になった今も、那覇の人々は「法事の道具を買うなら仏壇通り」と口をそろえる。同店で仏壇用の湯飲みを一つ購入した60代の女性は「親の代からここに来ているから」。

 同店は通り沿いに4店舗を構えるが来年には新館に集約させ、ハツ子さんは引退を決めている。「今後、どうなっていくか。期待と寂しさ、どっこいどっこい」

 一方、後継者たちは道路拡張を好機に捉える。同店新館の店長、照屋慎さん(36)は「道がきれいになれば、必ず店は戻ってくる」と断言。南城市に店を構える丸幸家具は、仏壇通り沿いに土地を購入した。3代目の上原生極(たかむね)さん(30)は「仏壇通りのネームバリューは大きい。集まっている方が、店にもお客さんにもメリットがある」と話す。

 通りは浮き沈みを経て、次世代へ継がれようとしている。