日韓両国の外相が日本軍「慰安婦」問題の決着で合意した。だがその過程に、人権を踏みにじられ苦渋の戦後を歩んだ被害者の声は聞こえてこない。沖縄にもかつて140カ所以上の慰安所があったとされ、元「慰安婦」の支援に取り組んできた関係者からは「日本の謝罪は一定評価できる」との見方がある一方、「臭い物にふたをした稚拙な政治決着」「被害者の苦しみを置き去りにしている」と厳しい批判が出ている。

ソウルの日本大使館前に設置されている、従軍慰安婦問題を象徴する少女像=28日(共同)

 西原町に住む女性史研究家の浦崎成子さん(68)は「日本政府は公の場で当事者の声を聞いていない。『慰安婦』がどういうシステムだったかも明確にしないまま決着とするのは、女性の人権に対する冒涜(ぼうとく)でしかない」と憤る。日本が拠出する10億円の根拠も不明と指摘。「1995年に『償い金』として出されたアジア女性基金との関連を含め、何をしようとしているのか全く見えない」と投げ掛ける。

 「慰安婦」や「軍夫」の問題に取り組むNPO法人沖縄恨之碑の会代表の安里英子さん(67)も「被害者が戦後70年、血と涙で訴えてきたことをこれで終わりにして、もう二度と蒸し返してくれるなという意図が見え見え。それを受け入れた韓国政府にも失望する」と強調し、続ける。「日本が犯した最大の人権侵害を薄っぺらい支援策で覆い隠すのは、さらなる犯罪に他ならない」

 一方、2012年の「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展で実行委員長を務めた高里鈴代さん(75)は「軍の関与を認め、政府の責任を明確に言った点では一定評価する」と語る。ただ「被害者が納得するかは別で、問題は決してこれで終わらない」と指摘。歴史教科書に「慰安婦」問題をしっかり記述するなど、今後の対応を注視する考えだ。

■沖縄県内に慰安所145カ所 92年にマップ作成

 沖縄では、民家や病院、集会所などに140カ所以上の慰安所がつくられたとされる。沖縄戦や女性史研究者らが関係者への聞き取りや陣中日誌などを基に1992年に「慰安所マップ」を作成し、120カ所の慰安所を確認。その後も数は増え、2012年に那覇市で開かれた「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展実行委員会の追跡調査では約145カ所に上っている。

 性犯罪は潜在化しやすく、人数など被害の詳細は不明な部分も多い。朝鮮半島から連行された日本軍「慰安婦」として、1975年に初めて被害を証言したのは渡嘉敷島に配置されたペ・ポンギさんだ。ペさんは戦後も沖縄で暮らし91年に亡くなったが、それと前後して韓国に「慰安婦」問題に取り組む韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会が発足。さらに元「慰安婦」のキム・ハクスンさんが名乗り出て日本を提訴するなどしたことで、問題が全国的に大きく動き始めた。

 「慰安婦」たちは軍人や住民から「朝鮮ピー」の蔑称で呼ばれ差別された。沖縄戦中は、首里城地下の第32軍司令部壕にもいたという証言が数多く残されているが、仲井真県政時代に司令部壕の説明板から「慰安婦」の文言が削除され、県の対応に批判が高まった。