◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第3部 自分らしく生きる 誠悟 心開くまで(中)

通信制の高校を休学中の誠悟、18歳。父親の勧めで西表島を訪れた(提供)

 「自分のペースで進めばいいよ」。中学3年の時に学校に行けなくなった仲松誠悟を両親も担任も責めなかった。自宅学習や受験勉強を後押ししてくれたおかげで、憧れだった沖縄高専の機械工学科に一般入試で合格できた。全寮制にもかかわらず学校は特例で自宅通学を認め、父親が宜野湾市から辺野古まで毎日送迎した。

 開校したての真新しい校舎、高い倍率を勝ち抜いて入学した優秀な同級生たちは、誠悟を緊張させた。新築独特の匂いが漂う校舎に入ると、プレッシャーに押しつぶされそうになる。授業にも全く集中できない。相変わらず腹痛にも悩まされ、新学期から約1カ月後、休学することを決めた。

 憧れだった学校になじめなかった。自宅にいる間も劣等感は膨らみ続け、うつの症状を悪化させた。自傷行為もするようになった誠悟を見かねて、医師と両親が精神科の閉鎖病棟への入院を勧めた。

 病院にいた1カ月間の記憶はあまりない。覚えているのは、暇を持て余して何度も廊下を往復したこと。「俺、この先どうなってしまうんだろう」。漠然とした不安を、母親が用意したジグソーパズルに集中することで振り払った。

 約1年の休学後、復学を諦め、通信制の高校へ再入学した。しかしそこでも新しい環境になじむことができず休学の後、1年後に退学。両親への罪悪感が募っていった。

 通りすがりの人がそんな自分を笑っているような気がした。他人の目線が怖い。鏡に映る自分が知らない人に見える。何をしても疲れやすく、無気力だった。

 その頃、通院していたクリニックで「統合失調症」だと診断された。大量に薬を飲むことで被害妄想などの症状は落ち着いたが、ただ自宅で横になって1日を過ごす日も多かった。両親は誠悟を叱るでも鼓舞するでもなく、時折「気分転換」を提案した。そうして父親に連れ出された就労支援施設で「精神保健福祉士」と呼ばれる人が働いているのを目にした。

 耳慣れない職業だったが、自分のような立場の人たちを助ける仕事らしいことはなんとなく分かる。家に帰り、インターネットで検索してみた。「心の病を負った人の社会復帰を助ける国家資格」だと知った。

 「いい子でいれば周りが喜んでくれる」。そんな思いの強い子どもだった誠悟。自分の行動が誰かの役に立ったり、周囲が笑顔になったりするのが一番うれしかった。「自分には心の病がある当事者の気持ちがわかる。この仕事なら誰かの役に立てるかもしれない」。誠悟に夢が芽生えた。(社会部・松田麗香)

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