11日は「成人の日」。沖縄県内では1万6666人が大人の仲間入りを果たし、希望や責任、時には不安を抱きながら自分の道を切り開いていく。人生の先輩たちはどんな二十歳を迎えたのだろう。県内外で活躍する6人に振り返ってもらうとともに、新成人へ激励のメッセージを寄せてもらった。

新成人へのメッセージを寄せた(左上から)川平朝清さん、名嘉睦稔さん、糸数美樹さん、(左下から)安仁屋宗八さん、高良結香さん、北島角子さん

■感謝の心持って

 戦後沖縄のアナウンサー第1号となった川平朝清さん(88)は台湾で生まれ育ち、終戦の2年後、二十歳で沖縄へ。まだ戦の傷痕が生々しく「軍国教育で、25歳まで生きれば御の字だと教えられた世代。成人になったという特別な感慨はなかった」と思い返す。

 1949年、米軍施政権下の暫定放送局・AKARでアナウンサーに。ラジオが普及し始めると、娯楽、情報、教養などあらゆる番組を制作し、荒廃した人々の心に明かりをともした。横浜市内に住む今も常に頭をめぐるのは「沖縄のために何ができるか」。

 新成人には、大人の世界では重要視される時(タイム)、所(プレイス)、場合(オケーション)に合った方法を意味する「TPO」ならぬ「TP2O」を伝授する。「Pが一つ多いのはピーポー(人々)を加えたから。人を大事にし、周りに感謝する心を忘れないで」

■焦らず挑戦して

 「世の中のあらゆることを経験したいと思っていた」。版画家の名嘉睦稔さん(62)は20代のころ、芝居やラジオ番組に関わり、イベントの司会なども引き受けていた。「小さな挑戦の積み重ねが、今の自分につながっている」とかみ締める。“天職”の版画には絵画、イラスト、デザインを経て出合った。「尻込みをせず、踏み出す勇気を持って挑戦することが大事。焦ることなく、じっくり構えて」とアドバイスする。

■まず行動しよう

 「ミキトニー」ことタレントの糸数美樹さん(30)は、東京の大学生。「急に『沖縄代表』と見られるのが心地よく、逆に帰省した時は東京の代弁者になる。私のフィルターを通して物事を伝えるのって楽しいな」と思い始めた時期だ。

 ただ当時は、タレントになる将来など想像だにしない。大学を出て米留。帰国後はアナウンサーを目指したがかなわず「不本意だけど経験のつもり」とFM沖縄の番組パーソナリティーに応募したのが大当たりした。CM出演を機にテレビの仕事も舞い込み「人生、どう転ぶか分からない。自分にリミットを設けず、まずはやってみるべきだと言いたい」。

 ガハハ笑いに、何でもさらけ出すオープンな性格。米国で培った「自分が1番楽しまないと、周りは付いてこない」という信念も、人とチャンスを引き寄せる極意のようだ。

■心鍛えて前進を

 県出身プロ野球選手の草分け、安仁屋宗八さん(71)は広島に入団したばかりの新人ピッチャーだった。「練習は12球団一の厳しさ」で「ひたすら走れ、投げ込め」の日々だったが「沖縄の後輩がプロ入りするまで、お手本として頑張ろう」と歯を食いしばった。その駆け出し時代が土台となり、現役生活18年で119勝。

 県内中学生らの野球レベル向上のため創設した安仁屋宗八杯はことしで10年目。「沖縄の若者はスポーツでも芸能でも能力が高い」と強調し「ただ、忍耐力はどうか。心を鍛え、目標や夢に突進してほしい」。

■夢実現 自分次第

 米国を拠点に、ブロードウェーの舞台で活躍する女優の高良結香さんは沖縄で成人の日を迎えていた。ダンスを学ぶため渡米したが物足りず、進学先の大学を「逃亡」していた時期。プロのエンターテイナーと一緒に学ぶ夢を諦めきれず、本場ニューヨークへ飛び出した。

 148センチの小さな体には常にパワーがみなぎる。「夢は見るのもいいけどかなえる方が絶対楽しい! エンジンをかけるのは自分次第」。国内外の実力者と肩を並べるまでになった努力家が肌身で感じたことだ。

■先輩から学んで

 北島角子さん(84)は新人の芝居役者として、各地を巡業していた。「成人式なんてやらなかった。だから私たちは若いよ」と笑う。新成人に伝えたいのは「年上の話を聞くように」。大先輩の生き方から多彩なことを学べ、尊敬の念がわくと思うからだ。