キャサリン・ジェーン・フィッシャーさんが自らのレイプ被害を初めて公の場で語ったのは、米軍の性暴力に抗議する県民大会だった。あれからちょうど10年。22日、沖縄県北谷町の会場を再び訪れた。「あの時、誰かが立ち上がるしかないと考えた。だが、今も事態は悪くなるばかり。責任のたらい回しをやめて、けりをつける時だ」と語った。(北部報道部・阿部岳)

大会が開かれた北谷公園野球場前広場に立つジェーンさん=22日

 「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が開かれた2008年3月23日、北谷公園野球場前広場には激しい風雨が吹き付けた。寒さの中、雨具を着けた約6千人が静かに立っていた。

 大会のきっかけとなった暴行事件の発生を知り、東京から参加することを決めたジェーンさん。「私は被害者の力になりたかった。来てみると、大勢が同じようにただただ被害者のために集まっていた。東京と違って、私は一人じゃないと思えた。沖縄の人が、私の力になってくれた」

 極度の緊張の中、「何も悪くない沖縄、何も悪くない私」と訴えた。大会が終わると、50年前に被害に遭った女性が駆け寄ってきて感謝してくれた。ジェーンさんは「あの日の全てを覚えている」という。

 3人の息子には沖縄の血が流れている。「報復ではなく愛を語る人々。自ら攻撃しない人々。私も同じやり方でレイプ根絶を求めてきた」と語る。

 しかし、被害が絶えない。ジェーンさんが加害者を米国まで追い掛けて「正義の象徴」として勝ち取った賠償金は1ドル。その小切手が最終的に手元に届いた2016年5月、沖縄ではまたしても暴行殺人事件が起きていた。今、米政府は被告の軍属が直接雇用ではなかったとして、日米地位協定に基づく補償金を払わないと主張している。

 ジェーンさんはトルーマン元米大統領が責任のたらい回しを批判して使った「責任は俺が取る」という言葉を引き、問い掛ける。「レイプに反対なら地位協定を変えるべきだ。変えないなら、それはレイプに反対ではないということ。どんな社会を子どもたちに残すのか、私たちの世代が問われている」