琉球(沖縄県の別称)は、古くから大陸との交流(特に今の中国やタイとの交易)が盛んであったので、さまざまな生活文化はその影響を色濃く受けて歴史が流れてきた。

 その一例が食生活で、琉球のそれは中国に昔からある食の思想「薬食同源」に影響を受けている。その考えの原点は、食べものの素材そのものには薬効があり、滋養成分が含まれているので、食べもの自体が医(病気を治療するの意)なのだ、というものである。だから琉球では昔から「食べ物は薬物(クスイムン)、命(ヌチ)の薬(グスイ)」、すなわち「食べものは薬であり、生命(いのち)を創る第一のもの」と言われてきたのである。琉球流に言えば「医食同源」で、「病気になってからでは遅い。ならないようにするには、食べものは医だと考え、いつも体を守ってくれる食べものを送り込む」ことなのである。

 それを昔からずっと守り続けてきた結果が、この地を世界に冠たる長寿の島にした訳なのである。もちろん、食べものや食材だけでなく、その食べ方や調理の仕方も薬食同源の教えに則(のっと)って行われてきた。例えば、魚を煮る料理に「マース煮」というのがあるが、これは鱗(うろこ)や内臓(腸、わた)を去った魚を海水のみ、あるいは塩水のみで薬草を入れて煮ただけのものである。とても淡泊な味の中に、魚の真味が生かされ、また材料に自然を残した料理法なのである。豚肉料理の「ラフテー」や「中味汁」なども、体を考えた上での古くからの知恵の料理なのである。

 琉球は、地理的に亜熱帯性海洋気候であるため、食べものはその影響を強く受け、この地域特有の趣を持っている。だから、魚介類や野菜、果物、根茎、海藻、肉類などは、実に特徴的なものが多く、それに合わせて料理もつくられてきたので、琉球独自の食文化の形成につながっているのである。

 ところで琉球には、大小161の島があり、人の住んでいるのは約50島といわれている。しかし、私が過去40年もの間、ほとんどの有人島を回ってみたところ、それぞれの島には固有の文化が根付いていて、とりわけ食の文化に至っては、島によって複雑多岐であることを知った。つまり、琉球の食の文化というのは、この地球上において最も込み入って高度に細分化された、世界的な食文化遺産地のように私には見えるのである。

 そして、このように分化された食の文化圏をさらに琉球全体で考えてみると、実はそこにも地域特性が宿っているのに気づくのである。

 それを次のような六つの文化圏に分けて整理することができよう。

 那覇・首里の食文化圏=商都那覇の商人(庶民)料理と、王朝文化の色濃い首里の宮廷料理が交叉(こうさ)する豊かな食の文化圏。

 糸満の海洋食文化圏=海人(ウミンチュ)に代表される魚料理と魚の加工を中心とした海洋食の文化圏。

 中頭平地の農耕文化圏=沖縄本島中央部にある中頭地方の農産物(芋類、野菜、かんきつ、米、カボチャ、果物、とうがん、大豆など)中心の食文化圏。

 山原の食文化=北の都・名護市以北地域の農産物、畜産物、水産物の入り込んだ豊かな食の文化圏。

 八重山の食文化圏=石垣島、西表島を中心とした島々の食文化圏で、海の幸、山の幸、草の幸(放牧)、畑と水田の幸、川の幸などが多岐に恵まれる豊かな食文化圏。

 以上、これまで琉球に度々行くこと40年、私がそこで思った食の文化について述べてみた。今、琉球にはアメリカを中心にした海外の食の文化が流入し、かつてのような食文化の独自性が失われ、伝統の「長寿王国」の実態にも陰りが見えてきたのは、誠にもって残念なことである。今こそ、琉球の素晴らしい食の文化を頑(かたく)なに守って次の世代に伝えるのは、大人たちの重要な役割だと思う。1度失ったら再興することは不可能なのが「文化」であると考える時、今だからこそ琉球料理を忘れてはいけないのである。