いよいよこれから「琉球の酒と食を愛(め)でる」の連載を始めることにする。とにかく琉球の酒と食はこの地域の気候風土に育まれ、それが固定化され、そして進化してきた文化である。この両文化は他の地域、例えば東南アジアや東アジアを含む世界全域、さらには日本の沖縄県以外には見られない固有のものである。例えば泡盛は焼酎の一つであるけれども、九州7県のものとは明らかな違いを見せ、麹(こうじ)に黒麹菌を用いること(九州の焼酎は今は黒麹を使っているが、これは琉球から導入した菌により使われ始めた)、原料米の全てを麹にして発酵させること(九州の焼酎は芋とか麦、米、黒糖などを原料にして麹を使う量は3分の1以下)、原料米にタイ国産のインディカ米を用いることである。また一般の泡盛は蒸留から1年前後の貯蔵で出荷されるが、3年以上の熟成酒を51%以上含むものは古酒(クース)の表示が許されるといった、長期熟成型の焼酎であり、その熟成法も仕次ぎ法など他例を見ない。

 一方、琉球の食も、その歴史性や食に対する思想、食材や調理法に於(お)ける特殊性などは、沖縄県を除く日本列島には存在しない固有性を持っている。

 そのため、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された(2013年)とはいえ、そこに琉球の酒や食文化がひと包(くる)みとして包括され、それで目出度(めでた)し、目出度し、ということではフラストレーションは募る一方である。

 そこでこの連載は、長期にわたるかも知れないが、第1部に「泡盛の来た道と琉球固有種の黒麹菌」、そして第2部は「琉球料理の真髄(しんずい)とその本質」と題して、いかにこの二つの文化が沖縄県の独自性を象徴しているかを論述するものである。

 さてこれから、第1部の琉球の泡盛の歴史を語る前に、私(以下我が輩という)とこの酒との関係を先(ま)ず述べておくことにしよう。

 我が輩が初めて沖縄県に行ったのは、今からちょうど40年前の1977年で、34歳のときであった。沖縄国税事務所が主催する泡盛鑑評会の審査員としてのことであったが、それから数年間その審査員を勤めた後、80年からは沖縄県から産業技術アドバイザーとして、泡盛の研究と技術指導を委嘱され、県工業試験場でその任に当たった。当時その部署には、泡盛の指導者として有名な照屋比呂子先生がおられていて、それから10年近くもの間、照屋先生と離島を含む県内全域の泡盛醸造所を回って技術指導をしてきた。その間、多くの酒造所から相談を受け、それに対応する方策を施したりして、今日の泡盛の品質向上には些(いささ)かの貢献をしてきたものと自負している。

 その後今度は、琉球大学から客員教授を委嘱され、農学部亜熱帯生物資源学科発酵微生物学教室(外山博英教授)に於いて、黒麹菌を中心とした研究と講義を行っている。このように我が輩は、泡盛とは40年もの間関わり続けてきたので、年平均5~6回の来島として計算してみると、何と200~250回は琉球に来て泡盛を極め、そしてこれを飲み、琉球料理を堪能してきたことになる。

 このように、泡盛との華麗なる関係を持つ我が輩ゆえに、最も愛するこの酒についてこれから語っていくことは、何とも嬉(うれ)しく楽しいことである