泡盛の語源については大きく二つの説がある。その第1は粟(あわ)を原料にしていたから「粟盛」が「泡盛」になったというものである。泡盛は、今日では米が原料になっているが、昔は粟も使っていたことは確かで、徳川期の教育書『宝箱』に「酒ヲ米ニテバカリ作ルト覚給(おぼえたま)フヤ、粟ニテモ作ルナリ、其ユカリニテ、今モ粟モリト言ウ」とあったり、薩摩藩主島津豪公が編さんした『成形図説』にも「沖縄ハ地粟ヲ造レリ、沖縄ニテ泡盛ト言ウ」などとあるから、この説は一理ある。

 第2説は、蒸留の際、導管から垂れてくる泡盛が受壺(うけつぼ)の泡盛に落ちる時、泡が盛り上がる状態を見て「泡盛る」となり、それが転じて「泡盛」になったという説である。実際、この現象を利用して、昔、泡盛の品質鑑定の時、粟を蒸留した泡盛に入れて、泡の盛り上がる状態を監察して製品の良否を決定したことがあったので、私はこの第2説を肯定している。

 江戸期の土佐藩士の見聞記『大島筆記』には「泡盛トハ焼酒ノ中至テ宜(よろ)シキハ蒸シテ落ル露、微細ナル泡盛ナリ、滴ニナル、夫ヲ上トスル故也」とある。また新井百石の随筆『南島志』にも「甑(こしき)ヲ似テ蒸シ、其ノ滴露ヲ採ル、泡ノ如キモノヲ甕(かめ)ノ中ニ盛リ、密封スルコト七年ニシテ、後之ヲ用フ、首里ニテ醸ル所ノモノ、最モ上品ト称ス」とあり、いずれも蒸留の時、泡盛の酒露が泡のように盛り上がる状態を語っている。『大島筆記』や新島出編の『南蛮紅毛史料』にも「泡盛ハ、蒸シテ露酒ガ泡ヲ生ジ、之ガ高ク盛上ルヲ上乗トナス故ナリ」とあって、こちらの方は泡が高く盛り上がったのを良い酒としている。

 ぐっと近くなって昭和11(1936)年に熊本税務監督局が出した『泡盛製造の調査』という小冊子に次のようなことが載っている。「酒精計ヲ使用セザリシ古キ時代ニハ、蒸留直後ノ泡盛一斗ニ対シ、煎粟(いりあわ)二合ヲ浸シ、之ヲ茶碗(わん)ニ移シテ泡ヲ泡立タセ、次ニ泡ノ発生セザルマデ何回トナク茶碗移シヲ行ヒ、其ノ回数多キ程、酒精分高キモノトセリ、多年ノ経験ニヨルタメカ、之レニ依ル酒精度ハ実際ニヨル正確度ニ極メテ接近シ、一、二度以下ノ誤差ニ過ギズ」とある。

 蒸留したばかりの酒に煎(い)った粟を投じて泡を立たせ、その泡が発生しなくなるまで茶わんに移し替えてアルコール度を測ったというのであるからユニークな方法である。

 こんなことが本当に行われていたのか、私も沖縄には何度となく来ていたので調べてみたが本当であった。古老から古老への口伝えであった「蒸留後、茶わんに泡盛を移して泡を盛ること何十回と極め、その盛りの度合いで酒の良否を見極めた」という話は、多くの泡盛業者の長老たちの共通した回答であった。

 以上のように、泡盛の語源は、蒸留の際に垂れてくる酒が受壺の酒に落ちてくるとき泡が盛り上がる状態から、あるいはこの酒の品質の良否(酒精分の濃度)を泡を立てて測ったという実話から、「泡が盛る」、「泡を盛る」が「泡盛」になったというのが今日の定説である。