73年前に「集団自決(強制集団死)」が起きた沖縄県読谷村波平のチビチリガマで7日、遺族会主催の慰霊祭があり、生存者や遺族ら25人が犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。少年らにガマ内が荒らされた昨年9月の事件後初。母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(63)が、少年たちから届いた反省文を朗読し「彼らを温かく見守りたい」と語った。

ガマの中に設けられた祭壇に線香をあげ、犠牲者の冥福を祈る遺族の與那覇徳雄さん(右)=7日午後、読谷村波平・チビチリガマ(代表撮影)

 事件を受けて多数の報道陣が集まったため、ガマ内部で開かれた慰霊祭は報道陣の出入りを制限して執り行われた。

 ガマ入り口に掲示された16~18歳の少年3人の反省文には、謝罪の言葉は何度もつづられていた。「自分が犯した罪が許されるとは思いません。あのときは何も考えず、遊び半分で行き、ものを破壊してしまいました。謝って済む問題でないのも、直らないものもあるのも分かっています」「逮捕された時からずっと手の震えや心の奥から誰かに押しつぶされた感覚がしていますが、被害者の方々はこれの何倍かもしれません」

 戦時中ガマに避難しながら生き延びた生存者で、慰霊祭に足を運んだのは4人。当時8歳の上原豊子さん(81)=村波平=は「戦争は人の殺し合いで、恐ろしいことだと知ってほしい」と声を絞った。

 1945年4月1日に読谷、嘉手納、北谷の本島西海岸に上陸した米軍は2日、チビチリガマ周辺に侵攻。ガマに避難した住民約140人のうち21世帯85人が「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。犠牲者の約6割が18歳以下だった。