73年前に「集団自決(強制集団死)」が起きた沖縄県読谷村波平のチビチリガマで7日、遺族会主催の慰霊祭があり、生存者を含む遺族ら約30人が犠牲者の冥福を祈り、恒久平和を誓った。少年たちにガマ内が荒らされた昨年9月の事件後初。母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長(63)は、犠牲者の遺骨が眠るガマの前で少年たちから届いた反省文を朗読し「立派な大人になるよう、彼らを温かく見守り続けてほしい」と語った。

チビチリガマの中で手を合わせる與那覇徳市さん(右から2人目)=7日午後、読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影)

 底冷えする寒さの中、ガマの中で執り行われた慰霊祭では、與那覇会長が餅や天ぷらなどが供えられた祭壇に線香を手向けた後、参列者で黙とう。遺族はおのおの線香を手向け、深々と頭を下げた。事件を受けて県内外から多数の報道陣が集まった。

 事件を起こした少年たちが、遺族や彫刻家の金城実さん(79)らと共同制作し、ガマを囲むように置かれた12体の野仏にも、菊の花が手向けられた。

 ガマ入り口には16~18歳の少年3人が寄せた反省文が掲示された。何度も繰り返される少年たちからの謝罪の言葉に、遺族らは静かにうなずいていた。

 ガマの生存者で、慰霊祭に足を運んだのは4人。当時8歳で「集団自決」を目撃した上原豊子さん(81)=村波平=は、犠牲になった祖父の次郎さんと同じ年になった。「戦争は人の殺し合いで、恐ろしいことだと伝えたい。平和が続くよう望んでいます」と声を絞った。

 1945年4月1日に読谷、嘉手納、北谷の本島西海岸に上陸した米軍は2日、チビチリガマ周辺に侵攻。ガマに避難した住民約140人のうち21世帯83人が「集団自決(強制集団死)」で、米兵による射殺で2人が亡くなった。「集団自決」の犠牲者は約6割が18歳以下だった。