旧優生保護法のもと、障がい者らへの不妊手術が繰り返された問題で、謝罪と補償を求める声が広がっている。

 宮城県に住む60代の女性が、国に損害賠償を求める初の訴訟を起こした1月以降、その声は強まっている。

 先月末、仙台地裁で開かれた第1回口頭弁論で、女性側は「子どもを産み育てるという自己決定権を奪い取る手術で、憲法で保障された基本的人権を踏みにじるものだ」と旧法の違憲性を指摘した。結婚の機会を奪われるなど、肉体的、精神的苦痛も訴えた。

 戦後の食糧難時の人口抑制策として1948年に施行された旧優生保護法は、知的障がいや精神疾患などを理由に本人の同意のない不妊手術を認めた。第1条に「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と記しているように、中心に置くのは優生政策である。

 国は「当時は適法だった」「厳格な手続きを経ていた」との立場だが、食糧難の時代ではなくなった96年まで法律が存続したのはなぜなのか。いまだに謝罪や補償を拒み続ける理由は。

 原告の女性は「遺伝性精神薄弱」と診断され、15歳で不妊手術を強いられた。ところが別の記録には遺伝性でないとの診断結果もあり、手続きの正当性にも疑念が生じている。

 旧法下で不妊手術の適否を審査していた都道府県の優生保護審査会を巡っても、書類を持ち回り審査会を省略するなど、乱暴な運用が明らかになっている。

 問われているのは負の歴史の直視である。

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 厚生労働省によると旧法下で不妊手術を受けた障がい者らは約2万5千人に上る。約1万6500人は本人同意を得ておらず、そのうち個人名記載の資料が残っているのは2割ほどにとどまる。

 沖縄は都道府県別では最も少ない2人が強制手術を受けたと記録されている。県保健医療部によると、復帰前は法の適用がなく、そのことが人数に影響しているとみられる。個人名や手術理由などを記した資料は、文書保存年限の20年を経過しているため「現存しない」。

 人数の多寡にかかわらず、被害を見過ごし、問題を放置した結果、救済に必要な資料が失われてしまった。

 70年以降、当事者団体が旧法撤廃を訴え、撤廃後は謝罪と補償を求める運動を展開していたのに、関心が広がらなかったことは、社会として反省しなければならない。

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 国会では支援の仕組みを探る超党派の議員連盟が発足した。実態調査を求める声に押され、厚労省は全国調査の準備を進めている。差別的条文の削除による法改正から20年以上を経て、ようやく救済の動きが出始めた。

 声を上げづらい被害である。情報が届きにくい環境にある人も少なくない。

 さらに同意を得たとされる手術でも強制に近かったという証言があり、実態を幅広くとらえる必要がある。

 被害者は高齢化しており、政治の責任で一日も早く救済の道を開くべきだ。