旧小禄村大嶺で生まれ育ち、小禄第一国民学校の3年生の時に「10・10空襲」があった。大嶺の土地を強制接収して建設された小禄飛行場や陣地、高射砲が狙われ、集落も被害が出た。実家が焼ける 1944年10月10日の午前8時ごろ。家の裏にある陣地側から「敵機来襲、敵機来襲。