〈琉球は「小さな日本」である。碧い空、藍い海、べうべうたる水天のかなたにつらなる南方の離れた小島は、まさに海洋ニッポンの縮図、波濤の健児の温床である〉

▼1935年に大阪朝日新聞で始まった連載「海洋ニッポン」の冒頭。書いたのは同紙記者の守山義雄さん。当時24歳。みずみずしい視点でそこに暮らす人々を描いた

▼糸満の漁師に触れて〈さすがは海の子、刳舟(サバニ)を下駄代わりに大海を闊歩する心意気はちょっと嬉しいではござらぬか〉。漁に打ち込む姿は〈唄も踊も海神の祭壇に返上して、糸満人がひたすらにたゝかひとった代償こそ、漁業日本の燦たる王座なのだ、われわれはそこに「唄はぬ凱歌」をきくのである〉

▼4年後、ベルリン特派員としてドイツ軍に従軍し「パリ入城記」を執筆。日米開戦をラジオで聞き〈自分の耳を疑った。お前は世界を相手に戦うつもりなのか〉と記す

▼戦後は部長職にありながら、沖縄を切り離して日本の独立を認めたサンフランシスコ講和会議を現地で取材。調印式を終えて、こう書いている。〈日本の上を、講和条約で未解決のまま残されたいくつかの重大問題が岩の如くのしかかる〉

▼沖縄戦で失った牧歌的な風景が頭をよぎったのか。守山さんの取材で撮られた写真は、横浜市の新聞博物館の企画展で見られる。(西江昭吾)