沖縄県内の瓦工場で唯一、伝統的な「たたらづくり」でアカガーラ(赤瓦)を作る与那原町の八幡瓦工場。クチャ(粘土状の土)をこねて粘土を成形し、昔ながらの道具を使いミーガーラ(雌瓦)とウーガーラ(雄瓦)を作る技を受け継ぐ代表の八幡昇さん(69)に、今も残る瓦作りに関するしまくとぅばについて聞いた。(南部報道部・知念豊)

クチャと赤土をこねて作ったたたらから「クヮーヒン」を使って2センチ分そぎ取る八幡昇さん=与那原町

そぎ取った粘土を「カーラバク」に隙間なく貼り付けていく

成形後に粘土から「カーラバク」と「カーラチン」を外し、乾燥の工程に進む

クチャと赤土をこねて作ったたたらから「クヮーヒン」を使って2センチ分そぎ取る八幡昇さん=与那原町 そぎ取った粘土を「カーラバク」に隙間なく貼り付けていく 成形後に粘土から「カーラバク」と「カーラチン」を外し、乾燥の工程に進む

 現在町内には4軒の瓦工場があり、そのうち3軒が赤瓦を製造している。八幡さんによると、明治に入り大衆に瓦ぶきの建築が許されると、壺屋の陶工が瓦を作るようになったという。

 壺屋の陶工が、クチャなどの原料がよく採れる与那原に次第に移り住み、工房を構えるようになった。八幡さんは「与那原はタムン(まき)が山原船で運ばれてくるし、馬車やケービン(軽便鉄道)があり、那覇・首里まで瓦を運べたので三拍子そろった場所だったのだろう」と話す。

 現在の工場が建つ場所では、八幡さんの母方の祖父奥原宗孝さんが戦前から瓦を作っており、1950年に父の薫さんが工場を設立した。そのころは木造建築も多く需要も高かったという。町内には約15軒の瓦工場が立ち並び、住み込みをして働く職人であふれ返った。男性は土をこねて作った「たたら」を積み上げて瓦を作り、女性はきれいに形を整えたという。

 昔ながらの技は伝統的家屋の建築や文化財の修復にも生かされてきた。那覇市民会館や玉陵の番所、名護市の津嘉山酒造、海洋博記念公園の沖縄館などを手掛けるなど、伝統の技術が役立った。

 赤瓦はかつて与那原や南城市大里で採れるクチャと那覇市の小禄付近で採れるニービ(砂を含んだ土)を混ぜた粘土で作っていたが、市街化でニービを採ることが難しくなり、今ではうるま市石川以北から採れる赤土を使っている。

 瓦の型を取るために使うカーラグルマ(瓦車)は2種類で、ウーガーラグルマとミーガーラグルマがある。後で粘土を剥がしやすいようにカーラグルマの上に乗せたカーラバク(瓦箱)にカーラチン(瓦衣)をかぶせておく。たたらからクヮーヒン(弓)で粘土をそぎ取り、カーラバクに巻き付ける。その後、手で表面をなで、ナディールヒーラ(なでるへら)で隙間なく貼り付ける。

 高さをそろえるためカーラヌジョージ(瓦の定規)で上部の余分な粘土を切り落として成形する。その後は2~3週間乾燥させた後、ガス窯で24時間焼き、完成する。約30年前までは登り窯で3日間かけて焼いており、職人が昼夜交代で見張っていたという。

 八幡さんは「焼いた瓦が出てきたときは赤ん坊が生まれた時と似た感じだよ」と笑う。たたら作りについて「伝統的な手法を知らないと改良品や新製品が生まれない。若い人にも受け継いでほしい」と語る。

 父の背を追い工場で働く雄二さん(40)は「今の製品の方が高品質だが伝統的な技術は残さないとだめ。映像にも記録して残したい」と話し、沖縄の伝統文化を継承する決意を見せた。