1944年の「10・10空襲」で壊滅的な被害を受けた那覇市民に、徳島市の川内北国民学校(現・川内北小学校)の児童らが義援金を贈ったことを知り、73年越しに感謝を伝えようとする人たちがいる。那覇市教育史の編さん中、義援金の件を知った島袋文雄さん(87)=市前島=、徳島県美馬市出身で那覇市泊に住む中山公子さん(74)だ。中山さんは20日、徳島の同小を訪ね、島袋さんの思いや城間幹子市長から託されたお礼のメッセージを届ける。

義援金が徳島の児童から寄せられたことを報じる1944年12月25日付の沖縄新報の記事

20日に徳島市の川内北小学校を訪ねる中山公子さん。城間市長からメッセージも預かった=18日、那覇市役所

義援金が徳島の児童から寄せられたことを報じる1944年12月25日付の沖縄新報の記事 20日に徳島市の川内北小学校を訪ねる中山公子さん。城間市長からメッセージも預かった=18日、那覇市役所

 島袋さんが徳島からの義援金のことを知ったのは約20年前。44年12月25日付の沖縄新報に、川内北国民学校の児童で集めた義援金100円が新聞社宛てに贈られてきたことを報じる記事を見つけた。

 「私たちが縄をなつたりいなごをとつたりカマスを織つたりお祭りのお小遣ひをしまつたりして貯へてあつたお金です」(原文ママ)などと、児童の手紙が記述されている。

 15歳の時に市内で10・10空襲に遭い、その後沖縄戦で家族を亡くした島袋さんは貧しかった戦争中、沖縄のためにお金を集めてくれた当時の子どもたちの思いに感激。市などに感謝状を贈るよう要請してきたが実現せず、諦めかけていたところ、地域の交流会で中山さんと出会った。

 島袋さんの熱意に共感した中山さんが同小に手紙でいきさつを伝え、20日に学校関係者と面会することが決まった。さらに学校や地域住民、地元新聞社が44年当時の在校生を探すため、動いてくれているという。

 18日、城間市長も中山さんにお礼のメッセージを託した。中山さんは「沖縄と徳島をつなぐ懸け橋になれれば。徳島の子に、義援金を贈った先輩のことや沖縄のことを伝えたい」と意気込んだ。