国の誤った隔離政策によって助長されたハンセン病への偏見や差別は、患者本人だけでなく家族にまで及んだ。学校、就職、結婚…、人生のあらゆる場面で受けた苦しみは想像を絶するものである。

 ハンセン病元患者の配偶者や子どもら59人が今月、国を相手に損害賠償と謝罪を求める訴えを熊本地裁に起こした。県内からも3人が加わっている。家族の被害をめぐる集団訴訟は初めてで、3月には追加提訴も予定している。

 ハンセン病は感染力が弱く、戦後間もなく薬で治るようになった。しかし国による強制隔離政策は1996年の「らい予防法」廃止まで90年近く続いた。元患者らが国家賠償を求めた2001年の熊本地裁判決は、隔離政策を違憲と判断。国は元患者と和解し、各種の補償制度を整備したが、同様に偏見にさらされた家族の救済は手付かずである。

 原告の一人、岡山市の原田信子さん(72)は、周囲に父親の病気が知られると、学校で「汚い、来るな」といじめられ、母親も職場を追われたと当時を振り返った。既に亡くなった父親に「優しい言葉を掛けてあげられなかった」ことを今も悔やんでいる。

 「私がハンセン病という理由で、姉の結婚が破談になった」「病気のせいで子どもたちがよくいじめられた」「入所者の子と同じ組にしないでと言われた」

 『沖縄県ハンセン病証言集』にも、家族が受けた数々の苦悩が記されている。

 なぜ親族にまで被害が拡大したのか。なぜ差別がこれだけ積み重ねられたのか。司法は直視してほしい。

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 家族の被害をめぐっては昨年9月、鳥取地裁が「国は社会の偏見を排除する必要があったのに、相応の措置をとらなかった点で違法だった」と責任について言及した。

 母親が患者だった遺族の男性が単独で起こした訴訟で、今回の集団訴訟へ踏み切る契機となった判断である。

 戦前から戦後にかけてハンセン病患者を親に持つ子を「未感染児童」と呼んできた歴史にも触れなければならない。感染していないにもかかわらず、いずれ発病する恐れがあるというニュアンスが含まれる冷酷な表現だ。

 らい予防法によって「未感染児童」を療養所に設置する「保育所」に集める政策がとられ、子どもたちも社会から隔離されたのである。

 国の強制隔離と、「無らい県運動」の責任が追及されるのは当然だ。

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 今回、原告となり初めて被害を告白した原田さんは「提訴できて胸のつかえが取れたよう。これからは隠れずに生きていきたい」と語っている。

 原田さんの後ろに、いまだ名乗ることのできない多くの家族がいることを忘れてはならない。

 国は家族を救済する法整備などに踏み込み、ハンセン病問題の根本的解決を図るべきだ。

 正確な知識を持たず偏見や差別意識を持ち続けた私たち一人一人もまた加害者としての責任に向き合う必要がある。