裁判所前の城岳公園ではヒカンザクラ(緋寒桜)が真っ赤な花を咲かせていた。代執行訴訟の口頭弁論に先立って行われた激励集会。証人尋問に臨む稲嶺進名護市長は七分咲きの桜に目をやると「沖縄に春が来た」と前置きした上で、「県民の声を伝えてきます」と声を張り上げた。

事前集会で、代執行訴訟の証人尋問に臨む決意を話す稲嶺進名護市長=29日午後、那覇市楚辺・城岳公園

ジャーナリストの安田浩一氏

事前集会で、代執行訴訟の証人尋問に臨む決意を話す稲嶺進名護市長=29日午後、那覇市楚辺・城岳公園 ジャーナリストの安田浩一氏

 割れんばかりの拍手が沸く。指笛が鳴る。こぶしを固め、ガッツポーズで応えた稲嶺市長の胸中にふぶいていたであろう情念を、そのあと、私は傍聴席で見ることになる。

 主尋問は淡々と進んだ。県側代理人の問い掛けに、稲嶺市長は手ぶりを交えて、基地被害の実態を訴えていく。空には爆音が響き、海は汚され、そして陸では実弾が飛び交っている。新基地建設によって、地域はさらに壊されていくのだと、丁寧に言葉をつないだ。

 1時間ほどたったころだろうか。稲嶺市長が沖縄の歴史に言及する。

 「先の大戦、そして米軍統治と、私たちはずっと日本から置き去りにされてきた。力によって押し込まれてきたんです」

 おそらく、何かがあふれ出した。それまでの淡々とした口調が、急に重々しくなった。声はかすれ、せわしなく動いていた左手が膝の上に置かれる。苦痛に耐えているかのような震え声で、稲嶺市長は続けた。

 「これ以上、私たち、がまんできないんです」

 一切の飾り気を排した生身の言葉だった。

 いま、この瞬間、何かと必死に戦っている。私はそう感じた。証人席の小さな背中を貫いているのは、沖縄を「置き去り」にしてきた「日本」に対するやりきれなさか。地域に分断を持ち込んだ米軍への怒りか。屈辱にまみれた歴史そのものへのいら立ちだったか。「普通の町で、普通に暮らしていきたいんです」

 稲嶺市長はそう言って尋問を終えた。その切ない願いと当たり前の希望に応えることのできない国を思い、今度は私のからだを憤りが貫いた。(ジャーナリスト)