美容室経営 宮城剛さん(41)=南風原町出身

 負けず嫌いな少年だった。素行はお世辞にも良いとは言えない。警察の厄介になったこともある。それでも、暗中模索する中で夢を見つけ、自分の信じる道を一歩ずつ進んできた。今や、東京で美容室2店舗を経営する実業家。「現状に満足せず、挑戦し続けたい」。語り口に、より高みを目指す思いがほとばしる。

「人のために尽くしたい」と語る宮城剛さん=東京都墨田区の美容室 

 小・中学校時代はサッカーに打ち込んだ。めきめき上達し、小6で那覇市選抜、中2で県選抜に。だが、スポーツに熱中する傍ら、金銭せびりや無免許運転など不良行為に明け暮れた。

 中学3年間で学校に親が呼び出されたのは26回。「中学卒業したらブラジルにサッカー留学したい」と懇願したが、両親は素行を案じて反対。学校の先生も「まずは学校に来なさい」と諭すほどだった。

 南風原高に入ったものの、好きなサッカーは高校のレベルの高さに挫折。学校に行かず、遊び歩く生活が続いた。友人とつるむのは楽しかったが、人生の先が見えないその日暮らし。漠然とした不安を内心抱えていた。そんな時に出合ったのが理美容業界だった。

 技術を磨き、人を美しく変身させる。何より、客が喜んでくれる達成感。理美容師がまぶしく映った。

 「俺もやってみたい」。そう両親に伝えると、銀行マンで厳格な父・勝さんは「好きなことをやるなら自立しろ」。高1の冬に中退して家を飛び出し、住み込みで南風原町内の理容店で働き始めた。

 「父のおかげで、いち早く自立心が芽生えた」。当時をこう振り返り、「技術を身に付ければ、世界中どこでもできるすごい仕事。今でもそう思います」。20歳になり、知人の紹介で東京・錦糸町の理美容店へ移った。修業を積み、32歳で念願の独立を果たす。

 17坪の店は最初の月から150万円の黒字。実は独立前、事業計画のプロでもある父に助言を求めた。「コストは最大に、売り上げは最小に。それでも利益が出るようにしなさい」。その頃、自分を指名する顧客は約800人。その半分が自分の店に来れば黒字になるよう出店構想を練った。

 3年前に2店目を開店。両方で従業員30人、売り上げは年間2億円に上る。年内に3店目を出す計画だ。

 「私はサラリーマンだったが、お前は小さくても自分の城を持っている。うらやましい」。厳しかった父は最近こう話す。認めてもらった証しだ。「どんなに会社が大きくなっても、人への思い、仕事への姿勢は変わらない。家族、従業員、顧客と共に歩み続けたい」。語られる言葉は優しさと力強さに包まれている。(東京報道部・西江昭吾)

 【みやぎ・ちから】 1976年、南風原町生まれ。合同会社「フォース・イリドス」代表。25歳で趣味で始めたボクシングは4カ月でプロ資格を取得。デビューから3戦全勝だったが、当時勤めていた美容室の店長になる辞令が来たため引退した。東京・墨田区で美容室2店舗を経営する傍ら、国家資格「キャリアコンサルタント」の取得も目指している。

「人のために尽くしたい」と語る宮城剛さん=東京都墨田区の美容室