ハンセン病回復者で、国立療養所沖縄愛楽園(名護市)の内外で差別の歴史を語り継いでいる平良仁雄(じんゆう)さん(79)=那覇市=が今月、自著「『隔離』を生きて ハンセン病回復者の愛楽園ガイド」を沖縄タイムス社から出版した。病気を隠し周囲の目におびえた過去から、ボランティアガイドを「生きがい」とまで言い切れるようになった半生をつづる。「大変苦労し亡くなった女房や父親、同じ病気の仲間たちの供養の気持ちも込めた」と強い思いを口にする。

HIV人権ネットワーク沖縄の子どもたちとの出会いを経て回復者と公表した平良仁雄さん。転機となった2008年が、手帳にメモされている=1日、那覇市・県ゆうな協会

平良仁雄さんの著書「『隔離』を生きて~ハンセン病回復者の愛楽園ガイド」(沖縄タイムス社)

HIV人権ネットワーク沖縄の子どもたちとの出会いを経て回復者と公表した平良仁雄さん。転機となった2008年が、手帳にメモされている=1日、那覇市・県ゆうな協会
平良仁雄さんの著書「『隔離』を生きて~ハンセン病回復者の愛楽園ガイド」(沖縄タイムス社)

 平良さんは久米島出身。著書は9歳で無理やり家族から引き離され、愛楽園に収容される場面から始まる。一家の「跡取り息子」は父親にとてもかわいがられた一方で、収容後は職員が監視する面会室で仕切りを隔ててしか会えず、体に触れることもできなかった。症状が良くなり17歳で帰郷したが、就職や結婚、那覇への移住などを経て病気が再発。愛楽園に再び入所した後、妻が心を壊し命を絶ったことも赤裸々に記している。

 「仕方ない」と受け入れていた現実はやがて、1996年の廃止まで患者の強制隔離を認めた「らい予防法」が元凶だと知る。「らい予防法がなければ家族と離れることはなかったし、女房は死ななくて済んだ」

 HIV人権ネットワーク沖縄の子どもたちと出会ったのは2008年。ハンセン病やエイズにまつわる差別を乗り越え、共生を目指す演劇の出演者たちで、その「温かい心」に触れたことがハンセン病回復者と公表する契機になった。

 著書には家族も実名で登場する。平良さんの病気のこと、家に不在がちだった理由を報道で知ったと回顧する娘や息子たちが、インタビューの実名掲載を選択してくれたことに「うれしかった」と平良さんは語る。

 ガイドを務める時は「腹の底から突き上げるらい予防法への怒り」を全身全霊で伝えてきた。これまでの語りを盛り込んだ著書は、7日から県内の主要書店に並ぶ予定。定価1200円(税抜き)。

 問い合わせは沖縄タイムス社、電話098(860)3591(平日)。

6日に那覇で催し

 6日午後3時から、那覇市のジュンク堂書店で平良さん、監修した山城紀子さん、編集の鈴木陽子さんを交えたトークイベントがある。