沖縄戦で亡くなった兄の慰霊のために4月中旬、北海道の90歳の遺族が糸満市の戦跡地を巡った。訪れたのは、戦死した金澤和彌さんの妹で釧路市に住む吉田照さん(90)と夫の信夫さん(93)、娘の智子さん(61)、孫の一史さん(30)の4人。照さんは「兄は出征前日にかわいがっていた馬の餌となる草を刈り取って厩舎(きゅうしゃ)に蓄えてくれた。優しかった兄のことを片時も忘れたことはなかった」と思いをはせた。

歩兵第22連隊の慰霊碑に手を合わせる吉田照さん(右から2人目)=糸満市真壁

 金澤家のきょうだいは13人。和彌さんは上から2番目の次男で照さんは5番目だった。和彌さんは召集されて歩兵第22連隊に入隊し、中国戦線の後、1944年に沖縄へ移動した。和彌さんの戦死公報には、45年の6月16日に与座で戦死したと記されていた。

 照さんは75年、95年、2002年と沖縄への慰霊の旅を続けてきた。摩文仁の平和祈念公園や、平和の礎ができてからは和彌さんの名前が刻銘されている礎を参拝してきた。

 今回は歩兵第22連隊に関連する慰霊碑の存在を知り、平和の礎の後にゆかりのある慰霊塔を巡った。部隊は沖縄戦末期、真栄里辺りに布陣したこともあり、始めにその一帯の遺骨を納めた「栄里之塔」、その後に真栄平の「南北之塔」を参拝した。

 与座岳から真栄平にかけての一帯が和彌さんの最期の地とされ、南北之塔に皆で手を合わせ、冥福を祈った。

 さらに歩兵第22連隊が属する第24師団の師団長・雨宮巽中将らが自決した市宇江城に建つ「山雨の塔」、市真壁の「萬華之塔」構内にある歩兵第22連隊の慰霊碑に祈りをささげた。

 照さんは「最初に慰霊に来た時には摩文仁で声を出して兄の名前を呼んだ。今度も胸の内で呼びました。南北之塔や萬華之塔の壕を見ると、悲惨な状況が目に浮かぶようで本当に胸が詰まった」と静かに語った。

 付き添った智子さんは「和彌さんの最期の地で慰霊することができて母の思いがかなえられ、親孝行ができたと思う」と話した。(崎山正美通信員)