沖縄の施政権が返還されてからあす15日で46年になる。

 復帰を2日後に控えた1972年5月13日、行政府ビル(現在の県庁)前で、琉球政府の閉庁式が行われた。

 屋良朝苗主席は、およそ千人の職員を前にあいさつし、自治への期待を熱く語った。

 那覇市の沖映本館ではこの日から、山里永吉原作の沖縄芝居「首里城明け渡し」が上演されている。住民は明治政府の琉球併合と復帰をだぶらせ、舞台にくぎ付けになったという。

 翌14日、復帰の前日、屋良主席とともにテレビ出演した山中貞則総務長官は、復帰批判が高まっていることを意識し、こう述べている。

 「米民政府がなくなったかわりに日本政府が同じことをしているといわれることだけは絶対しない」

 その上で山中氏は「償いはします」と明言した。「償い」という言葉は沖縄振興開発特別措置法に盛り込まれた文言だ。

 軍事上の必要性がすべてに優先される米軍統治下にあって、住民が強く希求してきたのは「自治と自立」の実現であり、「人権と尊厳」の確立だった。

 50年9月に実施された群島知事選挙。合同演説会の写真は、会場を埋め尽くしたおよそ2万人の人びとの、その数の迫力によって、見るものを圧倒する。

 写真から伝わってくるのは、軍政下の住民のたぎるような「自治への希求」だ。

 だが、復帰は他府県と同様の「自治」を実現するものではなかった。

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 沖縄の住民は、サンフランシスコ講和条約の締結の際、国会において、主権者としてその是非を意思表示することができなかった。

 政策決定によって最も影響を受けるにもかかわらず、住民に判断の機会が与えられることはなく、一方的に押しつけられたのである。

 復帰の際、未契約米軍用地を強制使用するために制定された公用地暫定使用法もそうだ。同法は沖縄だけに適用された法律で、本来、憲法に基づいて県民投票を実施すべきであったが、住民の要求は無視された。

 政治学者で西銘県政の副知事をつとめた比嘉幹郎さんは、復帰前年の71年に沖縄自治州構想を発表した。

 「復帰により沖縄の自治は縮小する」との懸念から、比嘉さんはこう指摘している。

 「沖縄の自治は住民の闘争によって獲得したものであり、沖縄に特別自治体を置くことは『日本変革』の突破口になるものと確信している」

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 比嘉さんの自治論は、今も古びていない。

 名護市辺野古の新基地建設を進める政府は、建設反対の翁長雄志知事や稲嶺進前名護市長に対し、徹底した「ムチの政策」を続け、地域を分断し、沖縄の自治をずたずたにしてきた。軍事上の要請で自治は形骸化し、沖縄はさながら「政府直轄領」のような様相を強めている。

 「現実だから仕方がない」とあきらめてはならない。現実を突き破る自治構想と実践が求められている。