1972年5月15日。米軍統治下だった沖縄の施政権が日本に返還された日です。復帰式典、通貨交換など、復帰と前後して様々な出来事がありました。当時の沖縄の風景を記録した写真を、沖縄タイムス社のアーカイブから公開します。

基地の街・コザ市(現在の沖縄市)。復帰前まで米人客が圧倒的に多かったセンター通り。米人が減り、看板も横文字から「日本人専用」と書き換えて呼び込みに懸命=1972年5月12日

復帰で通貨がアメリカのドルから日本円に変わった。円とドルの換算表を見ながら買い物をする人たち=1972年5月16日

最後のドル建て給料 政府公務員の給料日。ドル建て最後の支給とあって、職員は感慨深げだった=1972年5月2日

通貨交換・厳戒の輸送 日本円の入ったコンテナが日銀那覇支店まで陸上輸送された=1972年5月2日

ドルから円に交換 沖縄経済を支配し続けたドルは復帰と同時に円に交換された=1972年5月15日、那覇市・琉球銀行本店

「沖縄県庁」と書かれた県庁の正表札が除幕された=1972年5月15日

日本復帰を祝う横断幕=1972年5月8日、那覇市・国際通り

「新沖縄県発足式典」であいさつをする屋良朝苗新知事=1972年5月15日、那覇市民会館

復帰を沖縄処分だとデモ行進する5・15抗議県民総決起大会の参加者=1972年5月15日、那覇市

復帰記念式典と「式典粉砕」。記念式典会場の那覇市民会館向いの琉大保健学部には式典粉砕の横断幕=1972年5月15日

復帰前の渡航証明書と身分証明書

30マイルから50キロへ、速度標識の変更=1972年5月15日

15日午前零時の復帰時計。後方は沖縄県庁に生まれ変わった琉球政府庁舎=1972年5月15日

最後の琉球切手に行列 本土復帰を控え、最後の琉球切手を求める人たちが詰め掛けた=1972年4月17日、那覇市民会館前

与那国島・祖納の集落。瓦ぶき、カヤブキの家が並ぶ=1972年4月1日

復帰前日の那覇市中心部=1972年5月14日

那覇市・平和通りの買い物客=1972年5月13日

基地の街・コザ市(現在の沖縄市)。復帰前まで米人客が圧倒的に多かったセンター通り。米人が減り、看板も横文字から「日本人専用」と書き換えて呼び込みに懸命=1972年5月12日 復帰で通貨がアメリカのドルから日本円に変わった。円とドルの換算表を見ながら買い物をする人たち=1972年5月16日 最後のドル建て給料 政府公務員の給料日。ドル建て最後の支給とあって、職員は感慨深げだった=1972年5月2日 通貨交換・厳戒の輸送 日本円の入ったコンテナが日銀那覇支店まで陸上輸送された=1972年5月2日 ドルから円に交換 沖縄経済を支配し続けたドルは復帰と同時に円に交換された=1972年5月15日、那覇市・琉球銀行本店 「沖縄県庁」と書かれた県庁の正表札が除幕された=1972年5月15日 日本復帰を祝う横断幕=1972年5月8日、那覇市・国際通り 「新沖縄県発足式典」であいさつをする屋良朝苗新知事=1972年5月15日、那覇市民会館 復帰を沖縄処分だとデモ行進する5・15抗議県民総決起大会の参加者=1972年5月15日、那覇市 復帰記念式典と「式典粉砕」。記念式典会場の那覇市民会館向いの琉大保健学部には式典粉砕の横断幕=1972年5月15日 復帰前の渡航証明書と身分証明書 30マイルから50キロへ、速度標識の変更=1972年5月15日 15日午前零時の復帰時計。後方は沖縄県庁に生まれ変わった琉球政府庁舎=1972年5月15日 最後の琉球切手に行列 本土復帰を控え、最後の琉球切手を求める人たちが詰め掛けた=1972年4月17日、那覇市民会館前 与那国島・祖納の集落。瓦ぶき、カヤブキの家が並ぶ=1972年4月1日 復帰前日の那覇市中心部=1972年5月14日 那覇市・平和通りの買い物客=1972年5月13日