東日本大震災の発生から今年で5年。地震、津波で甚大な被害のあった宮城、福島、岩手の3県の出身者らでつくる各在沖県人会は、被災地や沖縄に避難してきた人たちの支援活動を続けている。現在の取り組みや復興の歩みについて各県人会長の思いを紹介する。

東日本大震災の被災地を支援しようと募金活動する岩手県人会「美ら・めんこい会」のメンバー=2011年3月15日、那覇市・パレットくもじ前

福島県に義援金を贈った沖縄福島県人会のメンバーら=2011年11月28日、那覇市安里のホテルロイヤルオリオン

震災発生直後、宮城県人会「沖縄萩の会」に届けられた支援物資=浦添市

芋煮をほおばりながら交流する「沖縄萩の会」メンバーと被災者ら=2014年12月20日、那覇市・沖縄国際ユースホステル

浦添市の港川自治会との交流で、アーサ御膳を囲む沖縄じゃんがら会のメンバーら=2015年6月13日

東日本大震災の被災地を支援しようと募金活動する岩手県人会「美ら・めんこい会」のメンバー=2011年3月15日、那覇市・パレットくもじ前 福島県に義援金を贈った沖縄福島県人会のメンバーら=2011年11月28日、那覇市安里のホテルロイヤルオリオン 震災発生直後、宮城県人会「沖縄萩の会」に届けられた支援物資=浦添市 芋煮をほおばりながら交流する「沖縄萩の会」メンバーと被災者ら=2014年12月20日、那覇市・沖縄国際ユースホステル 浦添市の港川自治会との交流で、アーサ御膳を囲む沖縄じゃんがら会のメンバーら=2015年6月13日

【宮城】在沖縄宮城県人会「沖縄萩の会」 戸袋勝行会長

 宮城県の復興は道半ば。沖縄では最近、東日本大震災のニュースを取り上げる機会がめっきり少なくなったと感じる。

 2011年3月11日午後2時46分、未曽有の大震災が発生した。地震に加えて津波が襲来した。宮城県で死者は1万5千人。そして家を失い、今でも仮設住宅や、民間借り上げ住宅に住んでいる被災者は、4万8千人にも上る。

 震災後、宮城県から沖縄に一時的に避難してきた方々は、震災直後の5月、6月には400人いた。

 すべてを津波に流され、何も持たずに避難してきた人たちに、箸や茶わん、布団など沖縄の人たちが被災者のために集めてくれた。沖縄の温かい気持ちを感じ、感謝の気持ちでいっぱいだった。

 あれから5年―。沖縄県の支援もあり、長期にわたり居住する方が、今でも約140人いる。ふるさと宮城県の仮設住宅入居者数を確認すれば、復興は道半ばだと分かる。そのような状況なので、帰るにも帰れない状況が続いている。

 在沖縄宮城県人会(会員約100人)では毎年、沖縄に避難してきた人たちを孤立させないように、夏のバーベキュー、忘年会や新年会と、情報交換の場を設けている。

 5年もたつと、沖縄で子どもが生まれたり、スポーツで県代表になった中学生もいる。今、その家族の皆さんは、子供のために沖縄に住むかどうか、迷っている時期でもある。幸い沖縄県では、5年で終了予定だった被災者のための「民間賃貸借上げ供与」が1年延びたと聞いている。

 世界では、異常気象や災害が次々に起きている。東日本大震災の復興もまだこれから。5年を迎える3月11日を前に、多くの人が思い出して、被災地に思いを寄せてくれたらと思う。

【福島】沖縄福島県人会 木村貞夫会長

 3・11東日本大震災から5年。県内で大震災の募金活動をしていたとき、あるおばあから「沖縄も沖縄戦からここまで復興してきたのだから、あなたたちも頑張りなさい」と言われたことが、今でも心に強く残っている。

 福島では大震災直後に福島第1原発の事故が発生したため、沖縄への避難者を想定し、受け入れ可能な施設などを調べて福島と連絡を取り合った。避難してきた人からの問い合わせや支援の申し出など、電話が毎日のようにかかってきたことを覚えている。

 現在でも10万人を超える人が各地に避難し、福島県外には約4万3千人、沖縄県にも約500人がいる。放射能汚染のため、岩手・宮城に比べ復興の速度も遅い。除染作業もかなり進んでいるようだが、汚染土の保管状況をニュースなどで見ると非常に残念でならない。

 黒い大きな土のうが民家や学校の敷地内に置かれ、また多くの土のうが野積みされ、重機が作業している。そんな状況を他県の人たちが見たら、少しおさまってきていた風評被害が再燃するのでは、と危惧している。

 しかし最近のニュースによると、汚染土の9割以上が再生可能だという。内堀雅雄福島県知事の中間貯蔵施設の受け入れ表明などを考えると、復興に向かって一歩一歩進んでいるようにも思う。

 ここ沖縄では、東日本大震災や福島第1原発事故を受けて福島県などから避難、転居した人々でつくる共助団体「福島避難者のつどい沖縄じゃんがら会」の活動も活発に行われている(ホームページ参照)。沖縄福島県人会(会員約100人)としても沖縄県民の方々の協力を得て、ふるさとの復興支援を続けていきたい。

【岩手】在沖縄岩手県人会美ら・めんこい会 菊池稔会長

 被災地を郷里に持つ私たち「在沖縄岩手県人会美ら・めんこい会」(会員約50人)はこれまで、義援金の募金活動や犠牲になられた方々の追悼法要など、復興支援活動に取り組んできた。これも地元沖縄の方々のユイマール精神の力を得て、活動できたものだと感謝している。

 大震災後の復興として、郷里の岩手では、陸鉄道の復旧や沿岸吉浜道路の開通、大船渡のカキ出荷、釜石市が2019年ラグビーワールドカップ(W杯)の試合会場となった朗報やラグビー大使の認定、再開された陸前高田の市民マラソンなどを通して、少しずつ人々の笑顔が戻っている。

 バイタリティーあるこれらの活動が、多くの人に感動を与えている。

 県人会では震災後から毎年、追悼法要と復興祈念式を開催している。

 式典では、沖縄に避難してきた人が「みなさんのおかげで立ち直ることができた。今後は支援する側に戻ります」などと力強く宣言した。その言葉に、私たちは感銘を受け、勇気をもらって活動してきた。

 被災地では少しずつ復興の兆しが見えてきたとはいえ、震災から5年を迎える今でも、行方不明者の安否や将来の不安など不自由な生活を余儀なくされている人々もいる。

 あらためて、震災5年の節目を迎えるにあたり、岩手県人としてこの大震災を風化させることなく被災地の方々に寄り添い、今後も地道に復興支援にまい進しなければと痛感している。

 「雨ニモマケズ、風ニモマケズ…、丈夫なカラダデ」

 私たち県人会は、ふるさとへの思いをひとつに、応援し続けたい。

■沖縄でも高まる意識 多くのリスクには未対応

沖縄国際大学特別研究員・防災士 稲垣暁さん

 県内の防災意識は、東日本大震災前に比べ、全体的には上がったといえる。中でも与那原や宜野湾など、沿岸地域の意識は高まっている。一方で内陸部や標高の高い地域は切実さが弱いかもしれない。

 震災後、県内の自治体や地域と防災活動に取り組んでいるが、当初は講演会など座学を中心に「災害とは何か」という入門的なテーマから出発した。現在は住民を交えたフィールドワークや、ワークショップの開催がメーンとなり、意識の高まりを反映している。

 だが、まだまだ課題も多い。県の防災計画では、震度7が想定される伊祖断層など「直下型」地震を四つ挙げているが、地域の住民に伝わっていないのが現状だ。

 巨大災害がいつ沖縄を襲うか分からないが、1年たつごとに確実にリスクは高まっている。加えて、今後は高齢者の増加率も高く、独居率のリスクもある。県民の防災意識は一定高まってはいるが、さまざまなリスクに比例したものにはなっていない。

 また、現在の避難訓練では、指定避難所へたどり着けたという「成功体験」を積み上げて終わってしまっている。車いす利用者、高齢者、障がい者、寝たきりの人たちがどこまで移動できるのか、何が障壁になるのか、課題を見つけ毎年修正を加えていくような避難訓練が求められる。