東日本大震災から来月で5年。被災者の「心のケア」の大切さが指摘されて久しいが、心は、傷の中身も回復の過程も見えにくく、多様だ。県内の精神科病院には2014年以降、被災地にいち早く駆け付ける医療チームが次々と発足。臨床心理学の専門家は「心の減災」が必要だと強調する。1995年の阪神・淡路大震災で被災した人々の軌跡をたどりながら、思いを探った。(社会部・新里健、溝井洋輔、知花徳和)

被災による一般的な心理の変化

避難生活を送っていた神戸市中央区の春日野小学校で、ボランティアたちと撮った写真。後列の左から2人目が千英さん。熱意に感銘を受けた=1995年3月19日

被災による一般的な心理の変化 避難生活を送っていた神戸市中央区の春日野小学校で、ボランティアたちと撮った写真。後列の左から2人目が千英さん。熱意に感銘を受けた=1995年3月19日

■支援者のサポートも重要 砂川千英さん

 那覇市の会社員、砂川千英さん(33)は小学6年の時に阪神・淡路大震災に遭い神戸市の自宅が全壊した。当時50歳の母親と妹と浦添市に移り住み、市内の中学校に転入したが「みんなよそよそしく、先生からも腫れ物に触るように接されてつらかった」。転機は中学2年。理解のある教師に促され、クラスメートの前で被災経験を包み隠さずに語った。「熱心に聞いてくれて打ち解けた」と話す。

 昔から歌うことが大好きな千英さんは高校卒業後、進学やプロの歌手を目指して本土に出たいと強く望んだ。しかし、懸命に育ててくれた母親は安定した仕事が見つからず、家にこもりがちに。千英さんは母を助けるため沖縄で就職した。失意の中、音楽仲間に「趣味として歌い続けようよ」と何度も励まされ、「歌を生きがいに楽しもうと前向きになれた」と振り返る。

 母親は心を許せる友人が少ない沖縄で孤立感を深め、5年ほど前からうつ病が悪化。千英さんも母を支え続ける疲れから、気持ちが沈みがちになった。ちょうど東日本大震災の直後。別の音楽仲間に「阪神大震災は死者が少ないし、15年もたった。大したことはない」と言われ、一層傷ついた。

 落ち込みながらも「東北のために何かしたい」と沖縄でチャリティーライブ出演の機会を探す中で、被災地支援に熱心な同年代の女性と知り合う。阪神大震災に遭い神戸市の自宅が全焼していた。被災当時やボランティアのあり方を語り合い「同じ神戸出身の人と初めて会えて、いろんな意欲が湧いた」と話す。

 71歳になった母親は長年の希望で先月、千英さんと久々に神戸を訪れ、旧友と再会。沖縄に戻ってからもしきりに「神戸に戻りたい」と言う。千英さんは「母も、沖縄でもっと早く被災経験を分かち合える人に出会えていたら、心温まる職場に恵まれていたら、前向きに生きられたかもしれない」と強く思う。

 東日本大震災で被災した人の心に思いをはせる。子どもやお年寄りのケアはもちろん大切だが、「そんな人たちを支える20~50代への精神的なサポートが足りないのでは」。21年間を顧みて、そう感じている。

■「精神状態 自ら伝えよう」 中村圭一郎さん

 那覇市で流通と観光誘客に取り組むアンカーリングジャパン代表取締役の中村圭一郎さん(39)=神戸市長田区出身=は、高校3年生のとき、阪神・淡路大震災に見舞われた。21年を経た今も精神的な負担は残る。東日本大震災などを契機にむしろ強まった感もある。それでも「被災体験を良い意味での責任とパワーに変えて」、懸命に前を向く。

 「被災者のメンタルな部分は分かりにくいし、伝わりにくい」。そう語るのには理由がある。あの日以来、飛行機の窓側の席に座れない。「周囲を囲まれる感覚、押さえつけられるイメージ」がよみがえるから、歯科医や病院にさえ行くことができなくなった。「被災者のメンタルケアには被災者自ら、抱える不安を自己開示していかなければいけない」とも語る。中村さんは、自身の被災経験からくる精神状態を周囲に積極的に伝えているようにしている。

 震災後、神戸では5年単位で、震災孤児ら子どものメンタルケアが盛んに行われていた。しかし、「20年を節目に無くなってしまったと聞く。これから出てくる問題もあるかも知れないのに」と危惧する。一方で現在も神戸の被災者に寄り添ってくれる人もいる。神戸の事例を知る専門家と東日本の被災者のマッチングがより進むことに期待をかける。

 東日本大震災から4年11カ月。中村さんが被災後、沖縄や海外に積極的に出かけた時期と重なる。「被災者は(生に対する思いの)振れ幅が大きくなり、経験を原動力に変えて物事を推進する力がある」と信じている。 

 先月、琉球大学で観光学の講義を担当した際、「震災の年に生まれました」と話す神戸出身の学生と出会い感慨深かった。「神戸や東北から、本当のリーダーが出てくることが楽しみ」と期待を込めた。

■災害派遣精神医療チーム(DPAT) 沖縄県内11機関15チーム

 大規模災害・事故などの発生時に精神科医や看護師らが被災者の心のケアに当たる「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」。近親者の喪失や生活基盤の破壊、恐怖体験から心のケアの重要性が指摘された東日本大震災を機に、統一的な基準による整備が全国で広まった。県内には国立病院機構琉球病院など10病院と、県精神保健福祉協会の計11機関15チーム。研修や防災訓練参加など平時の体制を徐々に拡充している。

 DPATは、1月に発生した長野県軽井沢町のスキーバス事故の際、現場にいち早く駆け付けた災害派遣医療チーム(DMAT)の精神医療版。チームに最低限必要なのは精神科医と看護師、後方支援する事務職員の3人。看護師が2人になる場合や臨床心理士が加わって4~5人になるのが一般的だという。

 県内の災害時には被災市町村から県災害対策本部への派遣要請を、県外では厚生労働省か都道府県からの要請を受け、派遣の必要性を知事が判断する。1回の派遣は1週間(移動2日、活動5日)が標準だ。

 県内で先駆けとなる琉球病院は2014年4月に初のチームを立ち上げた。発生72時間以内に現地入りする先遣隊に位置付けられる。同病院を中心に精神科のネットワークで研修会を重ねており、15年11月には各病院とチームが県から登録を受けた。

 登録病院はこのほか平和、県立精和、オリブ山、琉球大学医学部付属、新垣、博愛、医療法人へいあん、県立南部医療センター・こども医療センター、嬉野が丘サマリヤ人。

 全国では広島の土砂災害や御嶽山噴火、関東・東北の水害が対象となったが、県内チームへの派遣要請はまだない。15年10月には那覇市総合防災訓練に参加、16年1月には九州地区の研修会が県内で開かれるなど、体制は整いつつある。

■顔が見える連携目指す 大鶴卓・琉球病院副院長(精神科医)に聞く

 -被災者の心のケアに期待される役割は。

 「被災者に直接かかわる支援と、被災者を支える人のサポート、地元の精神医療の支援者の働きを補完する-という3つの役割が大きい」「特に障がいを持っていても安定していた方が、突然の被災による精神的ショックで調子を崩し、症状が悪化した場合などは直接的に介入する。被災者のフォローを続ける保健師の中には、どうしていいか分からず混乱するケースなどもある。『こんなサポートをしてみたらどうですか』と助言もする」

 -琉球病院は東日本大震災が起きた直後に岩手県宮古市に入り、現在も定期的に訪問している。

 「仲良くなった地元の支援者の人から言われたことがある。『細くてもいいので、長く来てほしい』『自分たちを認めてくれたことがうれしい』と。自分たちが頑張っていることを、忘れないでほしいという方は最近は多い」

 -県内の連携体制などの課題は。

 「自分たちの連携やスキルアップが第一の課題。研修や防災訓練に継続して参加する中で、つながりを一つずつ増やし、顔の見える連携体制をつくっていきたい。顔が見えると、災害が発生したときの実働がやりやすくなる」「急性期の患者さんに対する直接ケアと、遺族の方の(喪失体験を受け止めて支える)グリーフケアの二つの柱を検討している。今後ノウハウをまとめていきたい」

 -県内で大規模災害が起きたときは。

 「もし那覇空港が使えなくなったらどうなるか、という話題はよく出る。命や生活、衣食住の支援が優先され、1~2週間は県内のDPATが自前で心のケアに当たらないといけない。常に現実感を持って備えたい」

■心の回復、容易ではない 吉川麻衣子・沖縄大准教授(臨床心理士)に聞く

 -「心のケア」とは。

 「簡単に使われる言葉だが、中身は難しい。心は目に見えず、どこまで回復すれば良しとするかが人それぞれ異なるからだ。生活再建も心のケアに含めるべきと言う専門家もいる」

 -19歳の時に、阪神・淡路大震災後の神戸市でボランティアをした。

 「直後の3カ月とその後3年間、仮設住宅などで被災者の話を傾聴しながら生活を支援した。元気そうに見えても、話した次の日に自死する方もいた。人の心は簡単には回復しないと痛感した」

 -東日本大震災から間もなく5年。今をどうみる。

 「新しい生活の姿が見えてきた人と、全く見えず焦りが募る人との二極化が進んでいる。実際に被災地ではDVや虐待、仮設住宅での孤立が増えている。コミュニティーの基礎となる人と人のつながりを、行政の支援を受けながらつむいでいかないといけない」

 「被災経験を語れるまでには時間がかかるが、経験を分かち合える相手や場があれば、回復に寄与することもある。避難先で気を使われ続け、疲れている被災者には、長期的には『語りたいときに行けば話せ、無理に話さずに居るだけでもいい』場が必要になる」

 -被災者の心を息長く支えるために大切なことは。

 「今後は支援者への支援も重要になる。例えば、被災経験を傾聴するボランティアは、深く共感するほどに『共感疲労』が起きる。行政職員やボランティアも『燃え尽き状態』になる人が増えると予想されるだけに、支え手が求められる」

 「震災で失われた命を無にしないためには、被害を最小限に抑える『減災』の実践が大切で、心にも当てはまる。被災者の心理は一般的に(1)茫然(ぼうぜん)自失期(2)ハネムーン期(3)幻滅期(4)再建期-と波のような軌跡をたどる。こうした変化を知っておけば、被災後の混乱時に自分の心だけが異常だと思わずにすむかもしれない」