原発被災地・福島の地元2紙の編集部長の話を聞く機会があった。危機感あらわに語ったのは、今なお災禍から抜けられない福島の現状について多くの国民が「忘れる」ことへの懸念であった

▼あの日、テレビが中継した圧倒的な破壊の映像にくぎ付けとなり、ただただ無事を祈った感覚が思い出せない日がある。時が連れ去るかのように何かが風化していると感じ、自らを戒めることもある

▼復興は途上で、原発事故は収束どころか、コントロールもされていない。10万人近い避難者はどうする、除染は、放射性廃棄物の処理は…。何も終わっていないのが現状である

▼「集中復興期間」の名称は、4月から「復興・創生期間」と“前向き”に替わる。現実を知らない人からは「もう大丈夫でしょ」「いつまで復興といっているんだ」など、心ない声も聞かれるようになった。「忘れさせられているようだ」と心配を募らせていた

▼長崎で被爆した歌人の竹山広さんの歌がある。〈一分ときめてぬか俯(ふ)す黙祷(もくとう)の「終り」といへばみな終るなり〉。追悼式での黙祷が形式化していないか、悲しみを深くかみしめているのかと容赦なく問う

▼きょうで丸5年になる。大地震が発生した午後2時46分には黙祷がある。記憶の風化に立ち向かうとの思いを新たに哀悼の意を示したい。(宮城栄作)