東日本大震災から、11日で丸5年を重ねた。2011年3月11日午後2時46分。あの日あの時を境に被災地の風景は一変した。それぞれの歩幅はあれど「復興」は道半ば。沖縄の記者が被災3県の3・11を見つめた。

山田湾に向かって黙とうする漁師の亀山さん=日午後2時47分、岩手県山田町

津波で職員43人が犠牲となった防災対策庁舎の前で黙とうをささげる遺族ら=11日午後2時46分、宮城県南三陸町

放射線量が高いため自らの寺院に戻れず、相馬市内の寺院の一角を借りて犠牲者に祈りを捧げる住職ら=11日午後2時46分、福島県相馬市

山田湾に向かって黙とうする漁師の亀山さん=日午後2時47分、岩手県山田町 津波で職員43人が犠牲となった防災対策庁舎の前で黙とうをささげる遺族ら=11日午後2時46分、宮城県南三陸町 放射線量が高いため自らの寺院に戻れず、相馬市内の寺院の一角を借りて犠牲者に祈りを捧げる住職ら=11日午後2時46分、福島県相馬市

■岩手県山田町■ 工事一変 「海見たい」

 【岩手県山田町で松田麗香】静かに波打つ山田湾の海上をカモメが鳴きながら飛び回る。穏やかな海と対照的に、海岸沿いに立つ大きな「壁」の周辺ではクレーン車やショベルカーがせわしなく動き、土ぼこりを上げていた。

 岩手県山田町では、沿岸を走る国道45号を境に、海側で巨大防波堤の建設、陸側は土地のかさあげと、復興工事がまっただ中にある。

 午後2時46分、町の防災無線からサイレンが響き、ウミネコの声も工事の音もかき消された。

 震災で家を失い仮設住宅で暮らす漁師の亀山保之さん(77)は、漁港の岸壁にぽつんと立ち、海に向かって1分間、固く目を閉じた。

 港町で育ち、漁業で生計を立ててきた。7メートルもの防波堤が完成し、そのうち海を覆い隠すだろうと思うと複雑だ。「現実かと思うくらい、あの日の海は荒れ狂っていた。人もたくさん死んだ。それでも海が見たいと思ってしまうのは、いけないのだろうか」

 復興事業のあり方については被災者同士でも意見が割れる。「みんな同じつらさを体験した。互いの気持ちが分かるから、本音が言えない雰囲気がある」。黙とうが終わると、工事が再開した。「これからどんな街になるんだろうなあ」。日ごと変わる街の様子に希望と不安の入り交じった表情を浮かべた。

■宮城県南三陸町■ 保存・解体 悩む庁舎

 【宮城県南三陸町で比嘉太一】赤い鉄骨だけが残る3階建ての防災対策庁舎が、津波の脅威を物語る。震災で832人の犠牲者を出した南三陸町。津波の被害を二度と出さないよう、内陸部にあった山を切り崩し、海に近い土地のかさ上げ作業が進められている。

 午後2時46分。全ての工事が中断した。町は張り詰めた静けさに包まれ、サイレン音だけが鳴り響く。庁舎に深々と頭をさげ、黙とうをささげる遺族が列を作る。高さ12メートルの庁舎の周囲を取り囲むように人工の砂山がそびえ立ち、まるで、採石場に足を踏み入れたような感覚に陥る。

 町に住む60代の漁師は「あの日から景色がすっかり変わってしまった。なじみの町はもう無い。ごしっぱらやげる(腹が立つ)が、災害は誰も責められね」。

 仙台市の阿部愛美さん(25)=医療関係=は、同庁舎で働いていた父良人さん=当時(53)=を津波で亡くした。「父はここから『地震大丈夫?』と最後のメールを送ってくれた。私にとってこの庁舎は父親と会える場所なんです」と涙をためて目をこすった。

 4月から同庁舎の立ち入りが制限される。震災遺構として保存するのか、解体か。町は揺れ動いている。

■福島県相馬市■ 原発近く 戻れぬ寺

 【福島県相馬市で篠原知恵】「南無 東日本大震災罹災者 諸々精霊」-。11日午後2時46分、福島県相馬市にある歓喜寺の一角で、読経が静かに響く。東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた、各地の寺院の住職が集まっていた。

 原発事故で、住職も檀家(だんか)もなく古里を追われ、全国に散り散りになった。各集落に点在し、身近な存在だった先祖代々の眠るお墓。それが今はバリケードに囲まれ、花を手向けて供養することさえままならない。

 古里に戻るか、戻れるのか-。見通しが立たないため古里の墓地に納骨できず、避難先で遺骨を抱えたままの檀家は少なくない。

 「原発事故さえなければ…」。歓喜寺に集まった一人、1200年余りの歴史を重ねてきた浪江町大堀清水寺の林心澄住職は、悔しさをにじませた。寺は第1原発から約9・5キロの距離だ。

 11日夕、地震と津波、放射能に襲われ、今も住むことのできない浪江町請戸の共同墓地は、しんと静まり返っていた。地面がえぐられて倒れ、折れたままの無数の墓石。そのすぐそばで、汚染土壌の入ったフレコンバッグがうず高く積み上げられていた。