2018年(平成30年) 6月18日

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「現場に出たい」阪神園芸で第3の野球人生 元阪神選手・審判員の渡真利克則さん

 プロ野球の選手やセ・リーグ審判員として活躍した沖縄県宮古島市出身の渡真利克則さん(55)=興南高出=は今、阪神園芸の社員として兵庫県西宮市鳴尾浜にある阪神2軍の球場でグラウンド整備に汗を流している。43歳の時、球審を務めていた巨人―阪神の試合中に不整脈で心臓発作を起こして倒れ、第一線を退いた。「どうしても現場に出たい」。体を動かしながら野球に携わる人生を選択し、若手が成長する舞台を裏方で支える。(運動部・當山学)

2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん=兵庫県西宮市・阪神鳴尾浜球場

2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん(左)=兵庫県西宮市・阪神鳴尾浜球場

2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん=17日、兵庫県西宮市の阪神鳴尾浜球場(當山学撮影)

2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん=兵庫県西宮市・阪神鳴尾浜球場 2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん(左)=兵庫県西宮市・阪神鳴尾浜球場 2軍の試合前にグラウンド整備する渡真利克則さん=17日、兵庫県西宮市の阪神鳴尾浜球場(當山学撮影)

 1980年に夏の甲子園で8強入りした興南高の主軸で、184センチ、77キロ。強肩強打の大型三塁手としてドラフト2位で阪神に入団した。22歳から1軍の試合に出始めたが、ポジションを争うのは当時球界屈指の強打者の掛布雅之選手。出場機会に恵まれなかった。

 その中でも85年は特別だった。10月16日のヤクルト戦延長十回裏、最後の打者の投ゴロが、途中出場で一塁を守っていた渡真利さんに渡ってセ・リーグ優勝を決めた瞬間は、猛虎ファンの脳裏に焼き付いている。日本一にもなり「野球人生で一番の宝」という思い出は、引退後も野球に携わるきっかけとなった。

 92年にダイエー(現ソフトバンク)で現役引退。プロ通算成績は268試合で打率2割5分5厘、126安打、14本塁打だった。

 30歳で審判になり、順調に経験を積んだ。心臓発作で倒れたのは、そろそろ日本シリーズなど大舞台を任されるかという時期だった。「一瞬だけ記憶がない。体は強いはずだったのに、まさか自分が」。すぐに意識を取り戻したが病院へ。手術を経て主治医からも復帰OKが出たものの、セ・リーグから審判員を辞めるよう促された。

 約2カ月の静養後に同リーグ関西事務所で内勤に就き、慣れないパソコン業務で視力が落ちた。「デスクワークは向いていない」と阪神園芸へ2010年に入社した。同社は昨年のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージの阪神―DeNAで降雨後にできた水たまりをあっという間になくして注目を集めた、グラウンド整備のプロフェッショナル集団だ。

 渡真利さんは整備第一課主任として20代の若手をまとめている。2軍の試合がある日は朝7時30分から整備を始めて本番を見守る。「土の状態は毎日違う。少しでもイレギュラーがあるとドキッとする」。元選手としての感覚を大事に、入念に土を踏み締める。

 あと5年で60歳。体力と時間との勝負にも「好きでやっていることで、若い選手たちを間近で見ることができる。体が続く限り続けたいですね」。第3の野球人生を満喫している。

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