県の「子どもの貧困対策計画(案)」がまとまった。計画の中身は立派だが、下手をすると絵に描いた餅になりかねない。沖縄社会全体の本気度が問われる局面だ。

 計画(案)は、沖縄の深刻な現状を独自調査を含む各種の数字で示し、2016年4月から22年3月までの計画期間中の目標値を掲げ、当面の重点施策を打ち出した。

 大きな特徴は、乳幼児から保護者までライフステージごとに切れ目のない支援策を打ち出していること、学校を子どもの貧困対策のプラットホームと位置づけていること-などだ。

 子どもの貧困を自己責任論ではなく社会全体で取り組むべき問題と位置づけ、沖縄の宿痾(しゅくあ)ともいわれる貧困の負の連鎖(世代間連鎖)を断つ、という基本方向を示したことも高く評価したい。

 子どもの貧困対策は、国・県・市町村だけでなく、経済・教育・労働・福祉団体や地域団体が連携し、息長く着実に取り組まなければ効果の上がらない総合施策である。

 自治体や関係団体などを網羅した「子どもの貧困解消県民会議」(仮称)が新たに設置されるが、新組織の構成や役割をどうするか。制度設計次第ではおざなりな組織になりかねない。

 一人親世帯の貧困、保育問題、児童虐待、高校生の中途退学、若年無業者…。計画素案に寄せられたパブリックコメント(公募意見)から伝わってくるのは、現場の「うめき」であり、複雑に絡みあっているが故の問題解決の困難さである。

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 米軍政下の沖縄は今よりもずっと貧しく、本土との格差は途方もなく大きかった。多くの児童生徒が「本土コンプレックス」を抱え、自分たちの生活文化を低いものとみなした。

 復帰の際、重視されたのは本土との格差を是正することだった。国の予算が集中的に公共事業に投じられ、道路、港湾、空港などの社会資本の整備は急速に進んだ。しかし、貧困対策が正面から取り組まれることはなかった。経済振興や雇用、失業率の改善が優先されたのである。

 そのうちに福祉国家路線が崩壊し、経済のグローバル化が進んだ。観光やIT産業などの影響で雇用環境は改善されたが、その大部分が非正規雇用だった。

 沖縄県内の格差は固定された。それに輪をかけたのが一人親世帯の増加である。地域コミュニティーは助け合いの「横の絆」を弱め、家族の養育力も低下した。

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 戦後、沖縄は各県のどこよりも貧しかったが、当時の貧困問題とは異なる「子どもの貧困」という新たな問題が浮上したのである。

 貧困のゆえに「機会の平等」さえ与えられないという現実は、憲法の理念に反するゆゆしい事態である。それが広がれば子どもたちの可能性と選択肢が狭まり、結果として地域社会から活力が失われる。

 このような状況をどう克服するか。負の遺産を清算するこの取り組みは、沖縄社会を変え、新たな社会環境を作り出す壮大な試みでもある。