精神障がい者を敷地内の小屋や自宅の一室に閉じ込めた「私宅監置」制度。本土では1950年に法律で禁止になったが、米軍統治下にあった沖縄では1972年の復帰時点まで法的に認められていた。その監置跡が県内に残っていることを巡って今改めて監置を問い、負の遺産として保存しようという社会的ムーブメントが起きている。

筑摩書房・2808円/さとう・みきお 1953年秋田県生まれ。フリージャーナリスト。批評誌『飢餓陣営』主宰。著書に「自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の『罪と罰』」、「十七歳の自閉症裁判-寝屋川事件の遺したもの」など

 取り組みの一環として先月半ば、精神科医や県精神保健福祉会連合会のメンバーらと共に久米島に向かった。1971年、那覇保健所の嘱託医であった精神科医・島成郎さんが監置されていた患者や家族を地域で支えようと県内で初めて立ち上げた巡回診療の足跡をたどるためである。

 かつて監置小屋のあった場所を回るとともに、島さんと久米島における精神保健活動に取り組んだ元保健師の宮里恵美子さんからも話を聞いた。

 精神衛生の領域に強い関心を持ち、保健師になった後もさらに1年間精神衛生の研修を受けた宮里さんだったが、いざ仕事で関わることになった時は「怖い気持ちだった」と振り返った。

 精神疾患は特殊な病気だと考え、怖がり、精神科病院にいるのが当たり前だと誰もが思い込んでいた時代であった。そういう中で島さんは精神疾患が誰でもかかる病であることなどを説き、放置されている患者や監置されている患者を医療につないだ。しかし、それは取り組みの始まりに過ぎない。「地域に戻す」ことを一貫して言い続けた。

 そのためには精神疾患を理解する人を一人でも多くオルグする必要があり、相手の理解度や関心、求めに応じて信じられないほどのパワーで繰り返し“アジテーション”を続けなければならなかった。世代や職種や政治思想などを越えた幅広い「同士」を必要としたからである。「ブントの島」として60年安保闘争を主導した島さんは、朗らかに笑い、よく通る声でだれかれとなく語り掛けながらここ沖縄に地域精神医療の芽をまいた。今振り返るとすさまじい闘いであったと思う。本書を読み終えて「まだまだ、まだまだ」と地域精神医療へのさらなる関心と理解を促す島さんの声を聞く思いがした。(山城紀子・ジャーナリスト)