【松田良孝通信員】復帰前の沖縄でキビ刈りなどを行った台湾の出稼ぎ労働者をテーマにしたイベントが11、12日、台南南部の嘉義(ジアイ)県大林鎮(ダリンチン)で開かれた。初日の開幕式には、多数の台湾人労働者を受け入れていた南大東島から村観光協会の田仲瑠美子理事(56)ら3人が出席した。出稼ぎ経験者も訪れ、同島に5回働きに行ったという陳海松(チェンハイソン)さん(88)は「オクヤマさんという農家で働いた」などと話した。同協会は今後、台湾との交流促進に取り組みたい考え。

かさや養命酒、セーターを手にする南大東への出稼ぎ経験者と写真に納まる南大東村観光協会の田仲瑠美子理事(左から3人目)ら=11日、台湾・嘉義県大林鎮

 県内では復帰前、キビ刈りやパインアップルの収穫などで台湾から労働者を導入。キビでは1966〜72年に台湾労働者延べ5892人が訪れ、人手不足を補った。

 大林鎮の上林(シャンリン)地区には現在、南大東への出稼ぎ経験者約30人が健在。大林にある南華大学の邱(〓1)(〓2)(チウシュウェン)教授(社会学)が2006年から調査をしており、15年以降は地域の振興団体や嘉義大学と共同で出稼ぎ体験に基づいた絵本作りなどを行っている。

 イベントは両大学と同団体が開き、会場には出稼ぎ先から土産として持ち帰った養命酒や賃金として受け取った米ドルのコイン、南大東を紹介するパネル、上林地区からの出稼ぎについて伝える沖縄タイムスなどの記事も展示された。

 出稼ぎ経験者は陳さんら5人が出席し、南大東で買った毛糸で編んだセーターを今も着ることがあるという徐寶珠(シュバオチュ)さん(83)は「私が働いた農家は、ホシノさんという方でした」などと振り返った。

 製糖工場で働いた江木川(ジアンムチュアン)さん(75)は「米ドルがもらえるので沖縄へ出稼ぎに行った。沖縄が返還された頃に日本と断交し、行くことができなくなった。工場の班長はシンガキさんといった。島ではテラピアを捕って食べたことがある」などと話していた。

 田仲理事は「私の実家にも、台湾から出稼ぎに来た人がいた。島で働いたことのある台湾の人に、ぜひ南大東へ来てほしい。歓迎したい」と交流の発展に期待を語った。[ワールド通信員ネット]

※(注=〓1はへんが「王」でつくりが「叔」)

※(注=〓2は「雨」の下に「文」)