同じものを見て、同じことを体験しても、人それぞれ意見が違う。周囲の状況を感知し言動すること。それを促すために表現される英語を「シチュエーション・アウェアネス」(Situation Awareness)と言う。

孔子を祭る北京市の孔子廟

 心理学用語では、境遇や情勢、環境を把握する認識能力を求める際にも使われる。大昔のギリシャの哲学者は「問題とは物事そのものではなく、人間がその物事をいかに受け止めるか、その見解である」と提唱した。つまり、どのように感受するかにより、問題のレベルが決められる。行動もそれに比例する。

 私には4人の孫がいる。4分の1のウチナーの血が流れている13歳から29歳の孫たちに、私はよくこのような哲学的な話をする。「洞察力」という概念を身に付けてほしいからだ。頭を働かせるためのアンテナがちゃんと張られていなくて、ウチナーグチでいうトゥルバヤー(ぼんやり屋)はどこにもいるものだ。

 4月半ば、県からの団体と共にニューヨークの国連本部で、琉球先住民族としての自己決定権や人権問題をテーマにした会議に1週間ほど参加した。私を「オバアチャン」と呼ぶ孫たちは、私が何を考え行動しているかを問うので、何と返事しようかと常に考えていた。

 その後、5月8日の「ゴーヤーの日」に沖縄に帰省した。翌日、国連で一緒だった友人宅でゴーヤーチャンプルーを食べ、2日後には中国・北京大学での歴史・文化・学術シンポジウムに沖縄からの学術研究者らに加わり参加した。沖縄出身の本土大学の教授や県内の大学教授をはじめ、作家や新聞記者ら10人ほどのウチナーンチュがシンポジウムで研修資料・意見を発表した。

 中国側は福建省の国立大学からの参加もあり、琉球王朝時代の200〜300年にかけて渡来した三十六姓のクニンダ(那覇・久米村)の経歴・歴史を発表したのには感銘を受けた。私も彼らの研究内容に質問をして認識を重ね、彼らとの絆を即席でつくり上げたことがうれしかった。

 そして福建省にも来てほしいと何度も言われ、喜ばしく、また責任も感じた。

 シンポジウムでは、印象的な言葉がいくつもあり、私の頭の中に焼き付いている。一つは、中国のある博士が発表の中で紹介した「明の国は琉球へ兵隊を送らず、文人たちを送った」との言葉。

 もう一つは、2日間の会議の責任者である北京大学教授が最後のあいさつの中で「水を飲む時、井戸を掘った人のことを思え」と言葉を紹介し、互いに意識しようと伝えたこと。50人程の参加者は翻訳用の機器を耳に掛けて、その深い洞察の話を聞いていた。中国を訪れ、多角的に物事を見ることで、中国のチムグクルに気付くことができたのだ。(てい子与那覇トゥーシー)