[我ら“うちなーんちゅ”米ロス発]照屋勝子さん(80)箏曲研究所の会主

 照屋勝子箏曲研究所の会主、照屋勝子さん(80)は伊是名村の生まれ。1961年に結婚でハワイに渡り、その後、アメリカ本土に渡った長女の出産を機に、孫の世話をするためにロサンゼルスに移った。

箏曲の普及に励む照屋勝子さん=ロサンゼルス郊外ガーデナの北米沖縄県人会館

 当初は1年すればハワイに戻る予定だったが、すでに本土での生活も18年を迎えた。アメリカ生活は57年にもなる。しかし、暮らす土地は変わっても、勝子さんはずっと琉球伝統芸能の箏と一緒だった。

 「始めたのは母の勧めだった。母本人が箏への夢を抱いていたが、第2次大戦で夢が壊れた。自分が果たせなかったことを娘の私に託した」

 那覇商業高校を卒業後、創立したばかりの沖縄銀行に就職。職場の仲間との付き合いも忙しく、並行して箏の稽古に通うのは大変だった。それを知った職場の仲間の1人が「稽古の日は誘わないから、ちゃんと練習するように」と、背中を押してくれた。

 理解ある職場の仲間に恵まれて挫折を回避できたと勝子さん。また、音楽の仲間とは、琉球王朝で演奏されていた歴史ある音楽に携われる誇りとともに、芸術という共通の関心で結ばれた深い絆を感じると話す。「今でも、どうしたら若い人を伝統芸能に引き付けることができるかと、意見交換するのもまた楽しい」

 教え子についても「今は、米国内のあちらこちらの大学に進学してしまったが、音楽の才能がある高校生たちが私の下で稽古をしていた時は、非常にやりがいを感じた。彼らの素晴らしい感性に刺激されることが多かった」と語る。

 長女はカリフォルニアからシアトルに移転。長女の下の子どもも大学進学が決まり、夫婦2人だけの生活になるので一緒に住もうと誘われている。だが、勝子さんは「うれしいが、ここにはまだ私の生徒たちがいる」とし、引退生活はまだ先のことになりそうだ。

 北米沖縄県人会の理事を数度務め、同会芸能部では顧問、琉球箏曲興陽会ロサンゼルス支部では支部長の席にある。「沖縄県人会の役に立つことがうれしい」と笑顔を見せる勝子さんは、アメリカの地で箏曲の伝承に情熱を注ぎ続ける。(ロサンゼルス通信員・福田恵子)