「意地ぬいじれー 手ぃー引ち 手ぃーぬいじれー 意地ひち(腹が立ったら手を出さないようにし、手が出そうになったら心を静めなさい)」。糸満の白銀堂の格言。私は常に世界中の人に理解してほしいと思っている。この格言は名護中学3年の修学旅行の時から私の脳裏に刻まれている。

名言が刻まれた石碑

糸満の白銀堂の本堂

名言が刻まれた石碑 糸満の白銀堂の本堂

 子どものころ、那覇と糸満以外に南部の町村の名称は知らなかった。ウーマクーで男の子たちと木登りや走り回っていた私に、母の仲間や隣のオバァーが母によく言っていたのを覚えている。「くぬ あまさーわらび いちまんういせー(このしたたか童は糸満で売れ)」。当時、漁村糸満では子どもを漁業に手伝わせるために売買されるといううわさが流れていた。幼心にとても怖かった。確かに自他共に認めるおてんばで知られ、決してかわいい子ではなかった。糸満売りが事実かどうかは別としてそんな話は自然消滅した。

 中学3年の修学旅行は、当時は名護から南部への旅だった。那覇を後にしばらくしてバスガイドが次は糸満だと放送した。糸満と耳にしたとたん奥歯をかみしめ、両足を床に踏んづけていた。条件反射である。私は席に座ったままで他の生徒たちがバスから降りるのを横目で見ていた。

 バスに1人で残るわけにはいかない。みんなの後について行った。立ち止まった場所は白銀堂。ガイドが例の格言を元に、薩摩の短気な若い武士と糸満の賢い漁民の実話を語り始めた。集中して聞いた。するとそれまで誰にも話せなかった児童期の「いちまんうい」(糸満売り)の恐怖心が体中からすーっと消えていくのを感じた。

 あれから60年。波瀾(はらん)万丈の年月が流れた。ある日、ここ異国のアメリカで突然、10代の年子3人との母子家庭になり幾度も苦境に直面した。反抗期のやなわらばーたちを回し蹴りや逆突きで懲らしめてやろうという衝動と何度も葛藤した。その都度あの白銀堂が目に浮かんだ。

 あの格言が心理的防波堤として役立った。精神保健センターで心の病で悩んでいた児童青少年を対象に25年、何十回もあの白銀堂が脳裏から出入りしていた。10代の患者たちに白銀堂の由来話をしたら真剣な表情をした。

 「心技体」「空手に先手なし」などと精神修業のつもりでここ米国でも道場に掲げられている。武道は俺の人生だと証言するわりには、米国人たちの中には短気者が多い。道場の掛け軸の漢字を美的感覚で飾っているだけで、実際にその神髄は把握されてない。空手の理由だけで特に有段者たちが沖縄へ毎年何百人と行く。彼らが白銀堂参りをして何かを得てほしいと思う。(てい子与那覇トゥーシー通信員)