「事故はまさに地獄絵そのものだった」「忘れたいけど忘れられない記憶」。1959年6月30日に旧石川市の宮森小学校や周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落した事故の体験を語る講話(主催・NPO法人石川・宮森630会)が3日、うるま市石川保健相談センターであり、事故当時、同校の小学生や教諭だった4人が、戦後最悪といわれる米軍機事故の凄惨(せいさん)な様子を語った。

事故当時、宮森小の児童だった(左から)佐次田満さん、島袋力夫さん、仲間司さん=3日、うるま市石川

 講話では、事故当時小学5年生だった佐次田満さん(70)や小学2年生だった仲間司さん(66)らが登壇した。

 佐次田さんは「墜落時、パニック状態だった」と語る。逃げている最中には、血だらけになって大人に担がれる児童や、黒焦げになって運ばれる男の子を目撃したという。「言葉が出ないくらいショックだった」と振り返った。

 仲間さんは、当時たまたま、教室とは別の場所で漫画を読んでいて命が助かった一人だと説明。「ものすごい音がした後、振り返ると黒板が真っ赤になっていた」と思い返した。やけどを負っていたことから米軍のヘリコプターで陸軍病院へと搬送された。

 現在は医師となった仲間さんだが、事故の影響で20年近く医療用ヘリに乗るのが怖かったという。「心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったと思う」と事故の影響の大きさを語った。