9秒でまるわかり!

  • 1996年の普天間飛行場返還合意を前に米国側が作成した資料を発見
  • 返還ではなく県内移設が前提で、基地機能強化を狙っている内容
  • 発見した山本章子氏「負担軽減とは真逆で、今の迷走が予見できた」

 1996年4月12日の米軍普天間飛行場返還合意の発表を間近に控えた同年3月12日、米国防総省のカート・キャンベル次官補代理(当時)がペリー長官(同)らに対し、普天間返還に関する米側の考え方を説明した資料が1日までに見つかった。代替施設として嘉手納基地に近い地域に兵舎や貯蔵庫を備えたヘリポートの建設を求めるなど、当初から県内移設前提で、基地機能強化につながる条件も盛り込まれている。(特別報道チーム・福元大輔)

普天間飛行場移設に関する国防総省案。「嘉手納に隣接するヘリポートの建設」などが示されている(黄色の帯は本紙が加工)

 資料を入手し、分析した沖縄国際大学の山本章子非常勤講師は「資料では米政府内で普天間移設を検討した経緯や意図、狙いが明かされている。沖縄の負担軽減とは真逆の基地機能強化案であり、20年前に今の迷走が予見できたのではないか」と話している。

 表紙には「普天間移設(relocating)」と題目が付けられている。すでに「返還(return)」ではなく、移設であることを強調、優先する意図が読み取れる。

 資料では沖縄の負担軽減と同盟強化を目的に協議中だった日米特別行動委員会(SACO)で「普天間は移設の候補に挙がっていなかった」と指摘している。

 94年に大幅に見直した米太平洋軍の朝鮮有事作戦計画では、普天間が朝鮮有事の際に国連軍を受け入れるなど重要な役割を持つと評価しており、「普天間を手放す発想」が米軍や国防総省内になかったことがうかがえる。

 一方、95年の米兵による暴行事件を受け、県民が反発。橋本龍太郎首相が普天間の返還を要求、その後、東アジアの専門家で知日派のリチャード・アーミテージ氏が日本国内の政治状況を理由に「(普天間は)長くは持たない」と説明したことから、運用体制を維持する条件が整えば、移設が可能と結論を導き出した経緯が記されている。

 そのために(1)嘉手納基地に隣接する地域に兵舎、事務所、貯蔵庫、メンテナンスサポートを含むヘリポートの建設(2)普天間の補給機能を統制するための嘉手納のインフラ整備(3)緊急時の米軍の航空自衛隊基地使用-を要求することを確認している。ただし、具体的な移設先に関する検討内容は明らかになっていない。

 山本氏は「普天間返還の流れを基地機能強化に利用する考えが垣間見える。公開された資料は一部にとどまっており、研究を進めたい」と語った。