北米沖縄県人の現会長・國吉信義さんは1997、98年度に続き、2013年から16年まで2期連続で県人会のリーダーシップを執っている。1週間のうち3、4日は県人会の事務局で働き、別のさまざまな会議に出席する多忙な日々を過ごす。「1990年代に最初に会長を務めていた時は、県人会活動はロサンゼルスのダウンタウンの民家を使用したクラブハウスで行われていた。だが治安面に不安があったため移転を計画。会員対象のアンケートなども参考にして、現在のガーデナにビルを購入することに決めた」

國吉信義さん=ガーデナの北米沖縄県人会の事務局

 ビル購入の委員会を立ち上げ準備にいそしんだ。会長を退いた後の99年、県人会は、ダウンタウンから現在の北米沖縄県人会館にすべての活動拠点を移すことに成功。ちょうど同県人会が発足して90年目に当たる年だった。

 その後、当時の勤務先だったリバーサイドのエアフォースベースから沖縄の嘉手納基地に環境プログラムマネジャーとして転勤、2005年から07年まで故郷で生活した。「50年間もアメリカ暮らしだったので、アメリカ的な考えが沖縄では通用せず大変だった。細かいことまですべて確認しようとすると、うるさがられた」。アメリカでは、後でトラブルにならないように物事を曖昧に放置しない。一方、沖縄を含む日本では、あうんの呼吸を求められ「浦島太郎のような感覚を味わった」と振り返る。

 アメリカに戻った國吉さんは13年に再び、県人会の会長に就任。再任され4年の任期を務める中で「資産としての県人会のビルの維持、財政面の無駄の撤廃、後継者探し」を課題に挙げる。ビルは購入から17年が経過、雨漏りは既に修理を済ませ、近く害虫駆除を行う予定だ。会員の活動を円滑に行うだけでなく、重要な収入源であるテナント貸しを途絶えさせないための努力でもある。

 非営利団体として、税金面での恩典を享受するための手続きも行っている。「県人会として新年会、バザー、ピクニックなどの年中行事を通して資金を集めている。企業などからの寄付も募っているが、お金をいただく前に無駄な支出をしないよう目を配ることが重要。県人会の資金は次世代に活動を引き継ぐための不可欠な遺産」と語る。

 3月に80歳の誕生日を迎えた國吉さんは、16年を最後に会長を退く意向だ。「次の人を探さなければならない。能力があっても活動に割く時間がない人が多い。会員には日本語だけ、また若い世代では英語だけしか会話できない人がいる。会長は、その両方の言語を理解しなければならない。もちろん、沖縄のこともわかっている人がいい」

 南カリフォルニアに数多くある県人会の中でも群を抜いて活発に活動していることで知られる沖縄県人会。その秘訣(ひけつ)は、英語と日本語、それぞれの言語の間で人々の橋渡しを務める國吉さんの存在にあると言えるだろう。(ロサンゼルス通信員 福田恵子)