沖縄戦で米軍の捕虜となった県出身者らが移送されたハワイの収容所跡。県系4世の青年が三線で「浜千鳥」を奏でると元捕虜の男性は涙をこらえることができなかった。絶望の淵から故郷を思った72年前の記憶を蘇らせていた

▼昨年6月、ハワイで亡くなった県出身捕虜12人の初の慰霊祭を取材した。裸にされ行き先も告げられず船底に放りこまれた捕虜もいた。過酷な沖縄戦を生き永らえながら異国の地で家族と再会できぬまま亡くなった無念さを思うと胸が締め付けられた

▼慰霊祭は沖縄戦史の一つに光を当てた。ハワイ県系人が三線を差し入れた交流なども明らかになった。あれから1年。遺骨を遺族に戻すという関係者の願いは道半ばである

▼昨年8月、1946年12月にハワイを出た引き揚げ船で約100人の遺骨が日本側に返還されたという厚労省の記録が見つかった。同じ船で復員した慰霊祭共同代表の渡口彦信さん(92)でさえ初めて知った

▼その先はどこに渡ったのか。沖縄県に届けられたのか。身元不明と扱われ国立墓苑に納められたのか-。厚労省と県は調査を進めている

▼戦後処理の責任は国にある。県には記録が残っているかもしれない。関係者は高齢を迎えており、長い時間をかけるのはあまりにも酷だろう。国と県には早急な調査結果の報告を求めたい。(溝井洋輔)