スナック「たまき」オーナー 又吉とも子さん=うるま市出身

 「しまくとぅば」が飛び交い、うちなーメロディーが響く。東京・四谷の雑居ビルの一角。店内のテーブルをさりげなく回り、笑顔を振り向ける。古里を慕う沖縄県出身者、県外の沖縄好き、米軍基地行政に携わる防衛省関係者。さまざまな人が集う店は、沖縄を基軸にする社交場だ。

「上京してみて、沖縄の良さが分かる」と話す又吉とも子さん=東京・四谷の「たまき」

「上京してみて、沖縄の良さが分かる」と話す又吉とも子さん=東京・四谷の「たまき」

「上京してみて、沖縄の良さが分かる」と話す又吉とも子さん=東京・四谷の「たまき」
「上京してみて、沖縄の良さが分かる」と話す又吉とも子さん=東京・四谷の「たまき」

 高校まで沖縄県うるま市で育った。銀行マンの父は、趣味の腹話術で地域住民を楽しませるのが好きだった。うみんちゅ(漁師)の家庭で育った母も社交的。「両親の良いところをもらった」と感謝する。

 高校卒業後の進路は東京行きを選んだ。上京への憧れも、一旗揚げる野心もなかった。ただ、親元から自立したかった。

 大井町のアパートに住み、昼はカフェでバイト、夜は近くの小さなスナックで働いた。3分おきに駅のホームに入る電車。横断歩道でわれ先にと先頭に並ぶ人々。せわしく過ぎる日々で、スピード感に圧倒された。

 それでも、持ち前の快活さが背中を押す。〈どうせやるなら、最高峰を見てみたい〉。20歳で銀座の一等地にあるキャバレー「ハリウッド」へ移った。ホステス約200人を抱える大型店。「キャバレー太郎」と呼ばれ、一世風靡(ふうび)した福富太郎氏が経営する店としても話題だった。

 自分の店「たまき」を構えたのは39歳。結婚・離婚を経てシングルマザーになっていた。「資格もない私には、この道しかない」と一念発起。空き物件のオーナーに保証金500万円を分割払いにしてもらい、開店にこぎ着けた。「ゆんたくしーが たまき」(たまきでお話しましょう)。店の入り口にこんな看板を立て掛けた。

 開店祝いで知人・友人を招いた2日間は盛況だったが、その後、客足はパタリと止まる。ある日、看板を見た客が戸を開けた。「ここのママはウチナーンチュ?」。尋ねてきたのは沖縄出身者の男性。同じビルの上階の別の店へ階段を上る途中、偶然目に入ったという。四谷は防衛省から歩いて数分。その店は同省関係者の“御用達”だった。

 以来、口コミで広まり、要請などで上京した沖縄の首長や市町村職員、付き添いの官僚らが集まるように。上階の店は「客を取られた」と他地域へ移転した。

 「ウチナーンチュで良かった。郷土愛に助けられている」。オープンして19年目、感謝の言葉があふれる。シーサーや赤瓦が飾られた店内。テーブルには沖縄の地図が張られる。「ここを文化交流の店にしたい」。にぎやかさの中に客をホッとさせる雰囲気は、ママの人柄がにじみ出ている。(東京報道部・西江昭吾)=連載・アクロス沖縄<87>

 【またよし・ともこ】 1960年、うるま市生まれ。高校を卒業後、上京。99年から現在の東京・四谷3丁目に店を構える。店名の「たまき」は、銀座ハリウッド時代のマネジャーが、女優・沢たまきに似ているとして名付けた源氏名が由来。来年、開店20周年を迎える。住所は東京都新宿区四谷3の3。電話03(3358)7033。