71年前の1945年4月23日、伊江村西江上に日本軍が構築した陣地壕で住民約80人が犠牲になった「集団自決(強制集団死)」を伝える記念碑が完成した。12日に除幕式が開かれる。沖縄戦の実相を後世に伝える取り組みだ。

 壕は地下15メートル地点に、長さ50メートル、幅1・8メートルの筒状で造られた。地上への出入り口は、壕の東西の端にもうけられた垂直に上がるトンネルのみ。東の出入り口が、土地の持ち主の井戸にあったことから、その屋号をとって「ユナパチク壕」と呼ばれた。

 村史などによると伊江島では43年から日本軍が本格的な駐屯を始め、翌44年には隊員数は4500人にのぼった。人数が記載されていない部隊もあり5千人以上とする説もある。そうして島を占拠した日本軍は、住民を総動員して飛行場建設など盛んに陣地形成し、島中に陣地壕を造った。

 地下深くに造られた壕は、出入り口が埋められると見えなくなってしまう。住宅地となった同地では現在、記念碑で存在を示さなければ壕の痕跡を知ることは難しい。

 ユナパチク壕であった「集団自決」の数少ない生存者の一人として6年前、初めて証言した並里千枝子さん(79)が、碑の建立を強く望んだ理由である。

 村はその思いに応え、記念碑の建立を実現した。戦後70年の節目に間に合わせようと3月中の完成も急いだ。「島には多くの修学旅行生も訪れる。戦争を風化させず、その悲惨さと平和の尊さを伝える教材としても活用できれば」との島袋秀幸村長の思いが投影されている。

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 まるごと基地化した島で、戦争の実相を知ることはなおさら難しい。村の担当者は「陣地壕の位置ひとつとっても、すべてが分かったわけではない」と話す。

 戦争PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えながら強い使命感で証言を続けてきた並里さん。しかし、新たな「集団自決」の証言となるユナパチク壕の体験の出版には当初、「生存者が私しかおらず、信じてもらえないのではないか」と躊躇(ちゅうちょ)したという。

 「集団自決」をめぐる裁判と、それに伴う教科書の記述後退など戦争証言に対する近年のバックラッシュが懸念の背景にある。日本軍「慰安婦」問題も同根だ。共通するのは、証言者の高齢化と、軍隊の行為をめぐる証言への攻撃である。

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 並里さんを勇気付けたのは村による碑建立だった。戦争の実相の継承に今、行政の知恵と工夫が求められている。

 碑建立では、証言を基に村があらためて検証。当時9歳の並里さんが100メートルに感じた壕の長さは、実際は50メートルほどだったと判明した。

 しかし壕で起こった事実は、そのことで少しも揺るがない。記念碑には「日本軍から渡された手榴弾で住民約80人が集団自決した」との証言が記される。

 「戦争を風化させない」ために。行政が証言者に耳を傾ければ、戦後71年は継承の再スタートとなろう。