20年前のきょう、写真部記者として宮古島にいた。夕方に撮ったトライアスロン開会式の写真を本社にせっつかれて出した数分後、返ってきた返事は「もういらん。でーじなとん(大変なことになっている)」

▼テレビをつけると、橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が並び、普天間飛行場の全面返還を発表していた。素直に驚き、先輩たちと祝杯を上げた

▼当時、条件に付された「県内移設」から、合意の欺瞞(ぎまん)を見抜いた人もいる。だが、多くは「5~7年後」の自分の年齢を数え、基地返還の喜びを語り合ったのではないか

▼あれから20年、普天間は1ミリも動いていない。この間、騒音が1・5倍以上に増え、近接する沖縄国際大にヘリが墜落し、オスプレイが強行配備された

▼政府は「辺野古移設が唯一の解決策」を唱える前に、できる「危険性の除去策」に取り組む必要がある。オスプレイは住宅地上空を飛ばず、ヘリの旋回ルートは基地内上空に限定され、深夜・早朝は飛行禁止と日米で取り決めたはずだ。それをことごとく破り、被害を昼夜まき散らしている

▼自分たちで「安全確保策」と名付けて決めたルールすら守ろうとしない、守らせようともしない国同士の約束事とは何か。20年前の夜、どんな沖縄の未来を想像したのかを思い起こしたい。返還の約束を空手形にさせないためにも。(磯野直)