「喜び まちづくりへ夢」「驚き、不信 思いさまざま」-。20年前のきょう、普天間基地の全面返還合意を報じる1996年4月13日の本紙朝刊社会面見出しは、突然のビッグニュースに対する県民の戸惑いを象徴していた。

普天間返還合意を伝える1996年当時の本紙

 13日に報じた日米両政府の合意内容は「普天間飛行場の一部機能を嘉手納飛行場内に移転、統合。嘉手納飛行場を中心とする県内の米軍基地内に、普天間所属の海兵隊ヘリコプター部隊のヘリポートを新設する」

 その時点では嘉手納への「新たな負担押しつけ」との見方が強く「願いがかなった」と喜ぶ宜野湾市民の姿と対照的に、同町民の「こっちは固定化か」と憤る反発の声にも紙面が割かれた。基地の「たらい回し」は今と何も変わらない。

 普天間飛行場が「5~7年内」に返還されるのを前提にした紙面。ただ、本紙解説はその後20年の道のりを示唆するようにこうも言及していた。「日米で合意しながら移設先の問題で(返還が)先送りされる可能性も否定できない」