カンカンカン、カカカ、カンカンカン。那覇市首里石嶺町にある「金細工(くがにぜーく)またよし」。7代目の又吉健次郎さん(87)が金づちで銀の角棒をたたくリズミカルな音が響く。王府時代から継がれてきた伝統のジーファー(琉球簪(かんざし))や房(ふさ)指輪を生み出す音だ。「このリズムで作っているようなもの。テンポを身に付けることが大事です」と話す。(学芸部・吉田伸)

「昔の人に返すつもりで作っている」と話す又吉健次郎さん=6月6日、那覇市首里石嶺町・金細工またよし

又吉さんが作った房指輪(右)と女性用の4つのジーファー(左)、結び指輪(上)。房指輪は右上から魚、ざくろ、桃、扇、花、チョウ、芭蕉の葉の七つの形をかたどる。

「昔の人に返すつもりで作っている」と話す又吉健次郎さん=6月6日、那覇市首里石嶺町・金細工またよし 又吉さんが作った房指輪(右)と女性用の4つのジーファー(左)、結び指輪(上)。房指輪は右上から魚、ざくろ、桃、扇、花、チョウ、芭蕉の葉の七つの形をかたどる。

 復帰前、琉球放送やラジオ沖縄でディレクターを務めていた又吉さん。山里永吉さん原作の史劇「首里城明け渡し」を担当したり、民謡番組などを手掛けたりした。

 だが、40代になり金細工師の父誠睦(せいぼく)さんが体調を崩したことが気にかかった。「『カンゼーク』(金細工)の道具は使われないと意味がない。ラジオの音は消えるけれど、スー(お父さん)が作ったジーファーはずっと残る」。一念発起、マスコミ業界を飛び出して、跡継ぎになることを決意した。父は特に何も言わなかったが、見よう見まねで金づちをたたく音を聞いた母のマカさんは「アイ、健坊ナトーサー(できているね)!」と喜んだという。

 健次郎さんの工房にある道具はすべて誠睦さんから引き継いだもの。大木の切り株に鋼や真鍮(しんちゅう)を打ち込んで作った「金床(かなどこ)」に、沖縄戦の戦禍(せんか)をくぐり抜けた「ゲンノウ」(金づち)、雑踊「金細工」にも歌われる「フーチョーパンチョー」(鞴(ふいご))、真鍮の「匁秤(もんめばかり)」。いずれも今でも現役だ。

 「僕が作った道具は一つもない。仕事を残すということは道具を残すということ。どんどん消えているカンゼークの昔の形をティーチ、ターチ(一つ、二つ)は残したい」と強調する。

 誠睦さんは琉歌を詠んだ。「ふうち吹ち火ばな 顔(ちら)に吹ちとばち 芸(わざ)ぬ奧ふかさ 道やあぐで」。火を焚(た)き付けるため風を送る鞴を使うと、火の粉が顔いっぱいに飛んでくるが、それでも技の奥深さは極めにくい、という意味だ。「仕事の難しさを詠んだんですよ」と健次郎さん。

 母のマカさんはそんな誠睦さんを支えたという。マカさんも琉歌を詠むの好きだった。健次郎さんは空で覚えた歌を口にした。「真心ゆ込めてぃ 結ぶ指がねや 世ぬあるかじり 残しぶさな」を口にした。「真心を込めて製作した結び指輪は世がある限り残したいなあ」という意味。金細工の魅力を込めている。「金細工またよし」のジーファーと房指輪は今年5月、県民栄誉賞を受賞した歌手の安室奈美恵さんに贈られた。健次郎さんは「琉球の財産を安室さんが身に着けてもらえるのはうれしい」と喜ぶ。

 カンカンカン、カカカ、カンカンカン。健次郎さんが金づちをたたくと銀の四角形の角棒が八角形になり、何度も繰り返すうち、六角形に形作られていく。

 又吉家は「唐行(トーチ)又吉」と呼ばれた初代が明代中国で技術を習得。王府から「筑登之親雲上(ちくどぅんぺーちん)」の位を得て、士族用の銀(ナンジャ)のジーファーなどを製作してきた。

 7月末には半世紀近く慣れ親しんだ工房を首里崎山町に移す。王府の仕事を受けていた時代、又吉家は守礼門近くに工房を構えていたという。新しい工房は城壁のすぐ近く。継世門側になる。「スーのところに帰る感じがする。首里城に金づちの音を響かせたい。この音を聞いていると親父(おやじ)と対話しているような気持ちになるんです」とほおを緩めた。