名護の田井等で、10人きょうだいの次男として生まれ、県立第三中学校に通っていた。 5年生の2学期、学校では「国のために犠牲になりなさい」と教えられていたので、どうせ死ぬなら花火のように一瞬で大空に散りたいと予科練を志願した。予科練に行くのは、自ら死を志願することと同じ。